フリーエージェント制導入まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 07:33 UTC 版)
「メジャーリーグベースボール選手会」の記事における「フリーエージェント制導入まで」の解説
1972年には開幕から13日に及ぶ最初のストライキが起きている。その後選手会側は年俸調停制度、トレードの拒否権、テン・アンド・ファイブルールを勝ち取った。 1974年、オークランド・アスレティックスのキャットフィッシュ・ハンターがオーナーの契約不履行を訴えた。ピーター・ザイツを委員長とする調停委員会は主張を認め、球団に拘束されない選手であると認定した。ハンターは1975年にニューヨーク・ヤンキースに移籍し、複数年契約を結ぶことになった。 そして1976年、ついにフリーエージェント(FA)制度が導入される。きっかけは1975年にデーブ・マクナリー(モントリオール・エクスポズ)とアンディ・メッサースミス(ロサンゼルス・ドジャース)が球団の契約に不満でサインを拒否し、結局契約なしのままプレイしたことにある。球団はオプションとして契約を1年延長する権利を行使した形を取った。メッサースミスは「オプション年としてプレイしたのだから、もはや球団には拘束されない」と主張した。 再びピーター・ザイツ委員長の調停委員会による裁定が行われた。1975年12月に裁定を発表し、「契約の期限が切れたら、選手は他の球団を自由に交渉できる」とし、フリーエージェント制度に関する仕組みを基本条約に盛り込むことを勧告したのである。 経営者側は憤激し、選手会との基本協約の交渉は暗礁に乗り上げ、1977年の春のキャンプをロックアウトするなどしたが、結局同年7月に、MLBに6年以上在籍した選手に対してフリーエージェントの資格を与えることで合意した。 こうして選手側は移籍の権利を獲得したが、これは選手年俸の大幅な上昇をもたらし、経営者側は悲鳴を上げることになる。基本協約の期限が切れるその都度、オーナーと選手会は交渉を行うことになるが、フリーエージェント制度の廃止を目論む経営者側と、維持したい選手会側の交渉は大きく揉めることになる。
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