フクロウオウム保護計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:50 UTC 版)
「フクロウオウム」の記事における「フクロウオウム保護計画」の解説
1989年にカカポ保護計画が発展し、カカポ保護グループが、その実行のために設立された。ハウトゥル(リトル・バリア)島では、カカポがいた7年間繁殖が起きなかったため、メスたちの補助的な餌付けが始まった。1991年に4羽が卵を産み、2羽が孵化に成功した。コッドフィッシュ島では1992年に初めて繁殖したが、リムの果実に想定外の打撃があり熟さなかった。3羽の栄養失調のヒナがオークランド動物園に運ばれたが、ここで2羽が死んだ。残った1羽は「ホキ」と命名され、人手で育てることに成功し、マウド島に放された。 5年前は、どのカカポも幼鳥だったが、1997年にはコッドフィッシュ島のカカポはつがいを作るようになった。ふたたびリムが結実に失敗したが、母鳥の補助的な給餌によって3羽のヒナが産まれた。「リチャード・ヘンリー」は1996年にハウトゥル(リトルバリア)島からマウド島に戻され、1998年に3羽のヒナを産んだ。これは南島の遺伝子を持つ最初の幼鳥である。 コッドフィッシュ島とハウトゥル(リトルバリア)島はネコ、イタチ、クマネズミ、ドブネズミはいなかったが、それより小型なポリネシアネズミが両島には生息していた。ポリネシアネズミもカカポの卵とヒナを捕食し、さらに食物でもカカポと競合するとは、当初知られていなかった。この理解をもって、保護計画においてコッドフィッシュ島からネズミを根絶する措置が講じられた。同時にカカポをハウトゥル(リトルバリア)島からマウド島へと移すことが決定されたが、それはネズミだけが理由ではなく、補助的な給餌の後に、2羽しか巣立ちしておらず、またでこぼこした地形が厳重な管理を難しくしていたからだ。 これらの計画による運動は、望外の結果を生んだ。1999年に移動のためにカカポたちをハウトゥル(リトルバリア)島で捕獲した後、1984年以来発見されていなかった1羽のメスの個体が3つの卵とともに発見されたのだ。ヒナの保育は完全に人工的に行われ、3羽のメスが巣立ちした。1988年にはコッドフィッシュ島の近くのパール島に、2年間カカポが移された。その間コッドフィッシュ島でネズミの薬殺が行われた。パール島にはネズミや肉食鳥であるウェカ(クイナの一種)がいたにも拘わらず、1999年には5羽のメスのカカポが卵を産んだ。卵は人工保育に移され、3羽のヒナが巣立ちし、年間で6羽となった。これらの期間にカカポの個体数は50羽から62羽に飛躍した。
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