フォルーグの詩的イメージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 10:04 UTC 版)
「フォルーグ・ファッロフザード」の記事における「フォルーグの詩的イメージ」の解説
フォルーグの詩的イメージの特徴は大きく分けて二つある。一つは単語によって普遍性を持った非日常的なイメージを作り出しているという点であり、もう一つは、抽象的な単語からも独自のイメージを引き出し、日常的な単語から生まれるイメージと織り交ぜている点である。 例えば「庭」باغもしくは「小庭」باغچهという単語は、フォルーグの詩の中では「真実の世界」を表している。詐欺や欺瞞に満ちた現実社会とは異なる、本来人間が忘れてはならない「素朴さ」سادگیや「誠実さ」صمیمیاتが「庭」には存在するとフォルーグは考える。同時に、「庭」は新しい生命の誕生する場所である、テヘランという大都市に生活するフォルーグには、庭が最も自然に近い場所であり、生命の終焉と再生を見ることができる唯一の場所なのである。そこに植えられるのは「手」دستである。詩の中で真実を希求するフォルーグにとって、「手」とは必然的に「真実を掴む」イメージを持ち始める。 フォルーグの詩における「窓」پنجرهもある種のイメージを作り出している。フォルーグにとっての「窓」は、真実の世界に向いている窓である。決して世俗の世界と向かい合っていない。この「窓」から見えるべきものは、真実の存在する「庭」でなければならない。 フォルーグにとって真実が存在する「庭」と対局にあるのは「家」خانهであった。「家」は伝統的・通俗的・形式的なイラン社会の象徴であり、「家」の中にはもはや真実は存在しないとフォルーグは考えた。 フォルーグの詩において、「線」ختという単語は常に「歪んだ」「不安定な」「弛んだ」「伸びきった」などの修飾語が用いられている。そのためフォルーグの詩における「線」には力強く太い直線のイメージではなく、安定性のない弱いイメージが浮かび上がる。 この「線」の不安定さに対して、フォルーグは三次元の存在物である「物体・体積(かたちあるもの)」حجمを用いて「安定」したものを表現している。
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