フォルクローレ生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/28 05:03 UTC 版)
「クリスティーナとウーゴ」の記事における「フォルクローレ生活」の解説
クリスティーナとウーゴ夫婦が稼ぎ出した報酬でまず買ったのは、ブエノスアイレスからずっと離れた田舎にある土地と家と牛だった。そこで二人の息子たちと暮らした。彼らの夢はそこに自分たちの一族を全部呼び寄せて、毎日好きな料理を作り、フォルクローレを歌い、踊り、楽しむことだった。本物のフォルクロリスタは音楽だけでなく、料理も編み物もすべてに精通してなくてはいけない。それがマルガリータ・パラシオスからの教えだった。 クリスティーナは伝統文化を研究し続けた女性でもあった。さまざまなアンデス文化の書籍に詳しく、ステージ衣装はいつも伝統の模様を彼女自身がデザインして作らせたユニークなものだった。装飾品ひとつとっても、彼女自身が手を加えた古代文明のモチーフそのものだったりした。自分で曲も作り、自作曲には作曲者「ティナ・ベルナール」と記した。 ウーゴは歌の合間の詩の朗読(レシタード)を得意とし、肉を焼くのもうまかった。3、4回目の来日時には彼らとファンとの合宿が実現した。ある時は秩父の山深い民宿で、アルゼンチン風の豪快な焼肉大会(アサード)が行われ、そんな時腕をふるうのが彼だった。恵まれた日本のフォルクローレ・ファンたちは音楽とともに食文化の「フォルクローレ」を体験することができた。 クリスティーナは他のソプラノ歌手のように普段から喉を気にして生活することはなかった。大声で笑い、話し、酒好きのウーゴに付き合ってワインを飲み明かすことは日常茶飯事だった。ウーゴは実にお人よしで涙もろい、優しい男だった。ロマンチストな照れ屋でクリスティーナのためなら悪者にもなった。二人とも真にフォルクローレ的、人間的な歌手だった。
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