フォルクスワーゲンでの成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 08:11 UTC 版)
「アンドレアス・ミケルセン」の記事における「フォルクスワーゲンでの成長」の解説
2013年はWRCに参戦するフォルクスワーゲンの正式ドライバーに選ばれた。エース格のセバスチャン・オジェとヤリ=マティ・ラトバラに次ぐサードドライバーとして、サテライトのフォルクスワーゲン・モータースポーツIIに所属する。第4戦ポルトガルからレギュラー参戦し、最高成績4位・ドライバーズランキング10位でシーズンを終えた。 2014年は第2戦スウェーデンで2位初表彰台を獲得。その後も4度の表彰台を獲得し、年間ランキングではオジェとラトバラに次ぐ3位になった。 2015年は第2戦スウェーデンで初優勝を目前にした最終SSで痛恨のスピンを喫し、オジェに勝利を譲った。第12戦スペインでは逆に独走していたオジェが最終SSでクラッシュし、WRC64戦目のミケルセンに初優勝が転がり込んだ。先に走行を終えていたミケルセンはインタビュアーから自分の初優勝を知らされ、唖然としたあと喜びを爆発させた。年間ランキングでは、2位のラトバラに12ポイント差の3位となった。 2016年は第7戦ポーランドと最終戦オーストラリアで2勝。年間ランキングは3年連続3位ながら、不振のラトバラ(6位)を上回る成績を残した。しかし、シーズン終盤にフォルクスワーゲンがWRC撤退を表明。オジェはMスポーツ、ラトバラはトヨタへの移籍を決めたが、ミケルセンは来期のレギュラーシートを失ってしまった。
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