フォタ邸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 08:12 UTC 版)
「フォタ島 (アイルランド)」の記事における「フォタ邸」の解説
フォタ邸(Fota House)はフィリップ・デ・バリー(英語版)の子孫としてスミス=バリー家(1627年からバリーモア伯爵家(英語版))がかつて住まいとしていた。デ・バリー家(英語版)はノルマン人のアイルランド侵攻にしたがってウェールズから渡ってくると、1185年にフォタ島その他の地所を拝領する。最初に住んだバリーズコート城(英語版)(Carrigtwohill)の後に転じたCastlelyons(英語版)では広い所領地を得る。フォタ邸は本来、狩猟用の別邸であったものを1820年代に建築家の父子だったリチャード・モリソン卿(英語版)(1767年–1849年)と息子ベトルヴィウス(1794年–1838年)をやとうと、部屋数70超の摂政様式(英語版)の邸宅を建てさせ、現代に伝わる一家の主邸になった。 スミス=バリー家の末代でフォタ邸に最後に住んだ人物はドロシー・エリザベス・ベル(1894年–1975年)といい、父はアーサー・スミス=バリー (初代バリモア男爵)(英語版)(1843年–1925年)である。1840年代に一家が始めた庭園や樹木園を受けついだベル夫人は生前、種苗の開発と記録を続け、1975年に亡くなると家屋敷はユニバーシティ・カレッジ・コークが買い取った。 邸宅は20世紀後半にしだいに荒廃が進むと – とうとう天井の崩壊に至り、その後しばらくの間、一般公開を中止した。2002年初頭の公開再開に先立ち EU、アイルランド政府、民間資金を調達し復元工事がほどこされた。2007年12月以来、フォタ邸は新設されたアイルランド遺産トラスト(英: Irish Heritage Trust)の所管に移った。
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