ファーティマ朝の使者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 18:13 UTC 版)
「アンティオキア攻囲戦」の記事における「ファーティマ朝の使者」の解説
4月、エジプトのファーティマ朝からの使者が十字軍の陣営に到着した。彼らは、十字軍との和平を締結し、共通の敵であるセルジューク朝に対する挟撃を行うことを求めていた。アラビア語に堪能な隠者ピエールが交渉に当たった。 しかしながら、交渉は成り立たなかった。ファーティマ朝は、十字軍は東ローマ帝国の傭兵のようなものと考えており、もしファーティマ朝の領土であるパレスチナに攻め込まないと合意すれば、十字軍がシリアを領有することを認める準備があった。しかし十字軍はエルサレム領有につながらないどのような案も受け容れようとはしなかった。決定的な合意には達しなかったものの、ファーティマ朝の使者は良い待遇を受け、3月に十字軍がヤギ=シヤーンの軍から奪った品物などを土産として持たせた。
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