ファン・ドールンによる調査報告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:29 UTC 版)
「野蒜築港」の記事における「ファン・ドールンによる調査報告」の解説
政府の依頼を受けて、内務省のお雇い外国人として港湾・河川整備のオランダ人土木技術者のリーダーを務めていたファン・ドールンが1877年(明治10年)に石巻湾を訪れ、複数の候補地の比較を行なった。同年2月の報告書では野蒜以外の候補地もいくつか挙げられていたが、 (当時の)北上川河口: 地元から築港の要望が強いが、川によって運ばれる土砂が多すぎる 女川湾: 湾形は良いが湾内が狭く、また東に位置しており仙台方面との連絡が悪い 牡鹿半島西部の荻ノ浜: 同じく湾形は良いが、陸上からの交通手段が不便 松島湾の石浜: 波浪の心配が少ないが、島嶼部に位置しており陸地から遠すぎる として、それぞれ却下されている。 一方、野蒜については 南方の宮戸島によって外海の波浪が緩和される 西は松島湾に面して塩竈港まで3里、東は石巻まで5里と両者に近く、船の便が良い 河口のある鳴瀬川を改修することで、その水運が利用できる 仙台地区では、塩竈港との連絡を重視する声が強い として、今回の築港において最適の地である、と述べている。
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