ピダーセン自動小銃の登場
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「ピダーセン自動小銃」の記事における「ピダーセン自動小銃の登場」の解説
ピダーセンによる自動小銃の開発は1923年から始まった。1925年12月から1926年5月まで行われた武器省による最初の試験で良好な結果を残し、まずは仮名称T1として20丁が調達された。機関部はドイツ製ルガーP08ピストルでも採用されているトグル・アクションによるディレード・ブローバックを採用するなど、T1小銃の設計はガーランド設計案とは大きく異なっていた。 1927年、武器省は標準小銃弾として.276弾を採用する方針を発表した。この際、ガーランドも自らの試作銃を.276弾仕様に再設計している。1929年からの新たな試験では複数の.276口径半自動小銃が提案されたが、最終的にピダーセンが手掛けたT1小銃とガーランドが手掛けたT3小銃の2つに絞り込まれた。その後の選考の結果、T3小銃がより優れた設計と見做され、T1小銃の不採用が決定した。ピダーセンはその後もヨーロッパ諸国などを巡り、自らが手掛けた自動小銃の売り込みを図った。ヴィッカース社が製造を担い、中華民国やポルトガルなどでは性能試験も行われたものの、最終的にいずれの国も制式採用を見送った。 T1小銃の欠点としては、構造上弾薬への潤滑を必須とする点や、10発エンブロック式クリップが片方向からしか装填できない点が挙げられた(ガーランドのものは逆方向でも装填できた)。
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