ビーヴァーの著書による経歴
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「ヤン・キョンジョン」の記事における「ビーヴァーの著書による経歴」の解説
ビーヴァーは著書『第二次世界大戦1939-45』の中で、朝鮮系兵士ヤン・キョンジョンの経歴を次のように紹介した。 1938年、18歳のヤン・キョンジョンは日本統治時代の朝鮮にて関東軍に徴兵され、ソビエト連邦との緊張が高まっていた満州に派遣される。その後、ノモンハン事件の折に赤軍の捕虜となり、労働収容所に送られた。当時、ソ連邦は独ソ戦の激化から兵力不足に陥りつつあり、労働収容所等の収容者からも志願兵の募集や徴用を行っていた。1942年、ヤンは他の1,000人ほどの収容者と共に赤軍に徴用され、最前線へと送られた。 1943年、第三次ハリコフ攻防戦の折、ウクライナにてドイツ国防軍の捕虜となる。しかしドイツ側もまた捕虜からの転向者を募集していた為、ヤンはここでドイツ側に寝返った。その後、東方大隊(ドイツ語版)として知られるロシア系捕虜部隊の一員としてフランスに派遣され、連合軍側の上陸候補地であるユタ・ビーチにほど近いコタンタン半島に配置された。1944年6月、ノルマンディー上陸作戦が開始され、その中でヤンは米陸軍部隊の捕虜となり、英軍管理下の捕虜収容所に送られた。当初、アメリカ兵たちは彼をドイツ軍の制服を着用した日本人だと考えていたという。戦後、ヤンはロシアを経てアメリカに移住し、1992年に死去するまでイリノイ州に暮らした。
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