ビルマでの反共軍事活動とは? わかりやすく解説

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ビルマでの反共軍事活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 14:49 UTC 版)

李弥」の記事における「ビルマでの反共軍事活動」の解説

1950年民国39年1月李弥はいったん台湾逃れたが、同年9月、再び中国ビルマ連邦国境に戻る。そして残存していた国民党部隊再編して「反共抗俄救国軍滇南辺区遊撃第1縦隊」を組織、さらに雲南省政府主席雲南綏靖公署主任に任ぜられた。この部隊アメリカ支援受けており、後に「雲南反共救国遊撃総部」、「東南亜自由人反共聯軍」などと改称している。 しかしビルマ連邦政府は、ビルマ連邦北部根拠地とした李弥とその部隊活動激怒しビルマ国軍動員して掃討作戦開始した反政府勢力手を結んで反撃し台湾ビルマ関係、アメリカ・ビルマ関係の悪化含めて事態泥沼化してしまう。結局ビルマ連邦政府国際連合でこの問題取り上げようとし、にとっても戦況が不利となったため、ついに1953年民国42年12月からとその部隊台湾へ撤退余儀なくされている。この撤退1954年民国43年)に完了し翌年台湾引上げた(ただし部隊一部は、そのままビルマ残留した)。台湾戻ったは、三軍連合大学国防研究院訓練受けている。後に国民大会代表国民党第7期中央委員候補第8期中央委員第9期10期中央評議委員などを務めた1973年民国62年12月7日台北市心臓病のために死去享年72

※この「ビルマでの反共軍事活動」の解説は、「李弥」の解説の一部です。
「ビルマでの反共軍事活動」を含む「李弥」の記事については、「李弥」の概要を参照ください。

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