ビザの発行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/16 08:35 UTC 版)
「アリスティデス・デ・ソウザ・メンデス」の記事における「ビザの発行」の解説
1940年5月、ナチスの支配するドイツ軍がベネルクス三国およびフランスに侵攻を開始した(ナチス・ドイツのフランス侵攻)。そのため大勢の避難民が西へ向かい、スペイン、ポルトガルを経てアメリカ大陸へと逃げだそうとしていた。しかしポルトガルは連合国、枢軸国の両者に挟まれた立場にあったため中立を宣言しており、首相(財相、外相、陸軍相、海軍相を兼務)であった独裁者サラザールは避難民、特にユダヤ人へのポルトガル通過ビザの発給を禁止していた。 それに対して在ボルドーポルトガル領事館総領事であったメンデスは、1940年6月16日から23日の間、本国からの命令に逆らって避難民に対してポルトガル通過ビザを無料で発行した。メンデスは既に政府の命令に反してビザを発給した過去があり、次に行えば厳しく処罰すると警告を受けた上での行動であった。 メンデスの行動は部下や家族からも反対され、本国でも問題視されつつあったが、それでもメンデスはビザを発給し続け、3万人以上の難民に脱出の手助けを行った。内1万2000人がユダヤ人だった。最後には書記官も元台帳にビザ受給者の名前を書くことをあきらめ、登録料の支払いも求めなくなるほどであった。また、フランス・スペイン国境を警備するスペイン兵と交渉して避難民が逃亡できるよう図ったり、バイヨンヌの領事(総領事のメンデスの部下)に避難民にビザを発給するよう命じたりした。
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