ビサヤ諸島の戦いと終戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 14:41 UTC 版)
「第102師団 (日本軍)」の記事における「ビサヤ諸島の戦いと終戦」の解説
しかし、同島の戦局が悪化したため、12月下旬に師団長は島からの撤収を決心し、司令部員と一部兵力を連れ、1945年1月にセブ島へ渡航した。この渡航は上級組織である第35軍の認可を得る前に独断で企図し、話を知った第35軍司令官の鈴木宗作中将が師団司令部のセブ島への帰還命令を出した。だが、師団が第35軍司令部への報告をすべて手紙で済ませた上に無断で護衛大隊を使ったことに鈴木は激怒し、司令部のセブ島到着後に師団長と参謀長の指揮権を停止して待機を命じ、後日「重謹慎30日」を遡及する形で課した上で指揮権を復帰させた。 2月から米軍のビサヤ侵攻が始まり、3月下旬にはセブ島への上陸が開始された。師団の各配備部隊は既設陣地や山岳に立てこもって抵抗を続けたがやがて自戦自活状態となり、多数の戦病死者が出るなかで終戦を迎え、8月24日停戦した。
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