ビコール・エクスプレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/18 01:18 UTC 版)
ビコール・エクスプレス | |
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種類 | シチュー |
フルコース | 主菜 |
発祥地 |
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地域 | ビコール地方 |
考案者 | デミトリオ・ビラヌエバ・カロー |
主な材料 | 長唐辛子、ココナッツミルク、シュリンプペーストないしは干し魚、タマネギ、豚肉、ニンニク、ショウガ |
派生料理 | ギシンギシン |
ビコール・エクスプレス(英語:Bicol Express、ビコール語:Sinilihan)は、フィリピンのビコール地方の伝統料理の一つであるグライ・ナ・マイ・ラダ(ビコール語:gulay na may lada)を参考に、マニラ市のマラテ地区で、デミトリオ・ビラヌエバ・カローが考案し広めた、フィリピンではよく知られた料理の一つである[1][2]。ビコール・エクスプレスの名前の由来は、フィリピン国鉄の特急で、マニラとレガスピを結んでいた長距離列車「ビコール・エクスプレス」に由来する[3]。
ビコール・エクスプレスは、長唐辛子とココナッツミルク、海老または干魚由来の出汁をベースに玉葱、豚肉、大蒜等を煮込んだものである[3]。フィリピンにおいては、ビコール地方の料理は比較的辛いものが多いとされているが、ビコール・エクスプレスも、マニラのマラテ発祥の料理ではあるものの、ビコール地方の料理同様に辛い料理とされている[1][2][4]。
発祥の地に関する論争
この料理の発祥の地については、2つの見解が存在する[2]。1つは、デミトリオ・ビラヌエバ・カローがグライ・ナ・マイ・ラダを広めるためにビコール・エクスプレスという名前を冠した地であるマラテを発祥とする考えであり、もう1つは、ビコール出身者を中心に根強い見解である「そもそも元はビコール地方の料理であり、用いられる食材もビコール地方でポピュラーなものがほとんどである以上、ビコール地方発祥のものだ」とするものである[2]。
脚註
- ^ a b Who invented the incendiary Bicol Express?(マーケットマニラ)2017年11月12日確認
- ^ a b c d Food of the Philippines: Bicol Express(フィリピンスタイル 2016年12月22日公開)2017年11月11日閲覧
- ^ a b PNR's 'Bicol Express’to resume operations June 29(ABS-CBN 2017年8月2日閲覧)
- ^ 『The Philippine cookbook.』 著:アレジャンドロ・レナルド (1985年).12~14頁 ISBN 978-0-399-51144-8.
関連項目
ビコール・エクスプレス
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「フィリピン国鉄」の記事における「ビコール・エクスプレス」の解説
ビコール・エクスプレスは南方線マニラ - レガスピ間474kmを所要時間12〜13時間で走る長距離列車である。2006年9月下旬、マニラ首都圏を襲った台風15号(Milenyo)でカランバ(Calamba)の手前3kmのサン・クリストバル川鉄橋が崩壊した。長年に亘る修復作業が完了し、2010年6月29日、マニラ - ナガ区間の運転が再開された。日本のJR東日本から譲渡を受けた車輌(最後は上野・金沢間の寝台特急「北陸」で運用された14系客車)が投入された。午後6:30にトゥトゥバン駅を出発し午前4:00にナガ駅に到着する、フィリピンで唯一の夜行列車として一日1往復の運転を行っている。 2012年10月に台風の影響でビコール地方の運行は中止され、2018年1月現在も路線が復旧したものの、運行再開において政府の許可が降りていない。
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