ビェルナトの作品か疑問が残るもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 18:11 UTC 版)
「ルブリンのビェルナト」の記事における「ビェルナトの作品か疑問が残るもの」の解説
Dialog Palinura z Charonem〈パリヌールスとカローンの対話〉……偽ルキアノス(Pseudo-Lucian)の作品の翻案であるが、スタニスワフ・グジェシュチュク(Stanisław Grzeszczuk)はルブリンのビェルナトの作であることを疑問視した。M・ドゥウスカ(M. Dłuska)およびK・ブズィク(K. Budzyk)によれば、Ezop の翻案よりも前に成立し、1536-1542年版が存在する。唯一の元本は1944年に失われた。現存する断片: F・プワスキ(F. Pułaski)、 "Dialog Palinura z Charonem. Utwór Pseudo-Lukiana w tłumaczeniu Biernata z Lublina"〈オアリヌールスとカローンの対話。ルブリンのビェルナト訳の偽ルキアノスの作品〉、ワルシャワ、1909年、Collectanea Bibl. Ordynacji Krasińskich 第2号。 Księgi św. Augustyna hippońskiego o żywocie krześcijańskim〈キリスト教的生活についてのヒッポの聖アウグスティヌスの書〉、1522年。 Sprawa a lekarstwa końskie przez Conrada, królewskiego kowala, doświadczone〈王の鍛冶屋コンラドゥスによる事例と実証済み馬の医薬〉、クラクフ、1532年、F・ウングレル印刷所(drukarnia F. Ungler)……チェコ語からの翻訳。コンラドゥスの名字は恐らくポーランド国外での仕上げの規格により同主題に対して使用された架空のものと考えられる。翻訳者により使用されたチェコ語テクストはさらにドイツ語に基づいたものである。著作者としてルブリンのビェルナトを名指ししたのはアレクサンデル・ブリュクネルとL・ベルナツキであり、これにA・ペレンス(A. Perens)も倣ったが、I・フシャノフスキは否定し、S・エストライヒャー(S. Estreicher)も疑問視している(XXVIII、51–52)。批判校訂版: A・ベレゾフスキ(A. Berezowski)、クラクフ、1905年、BPP 第53号。 再版:G・スタシキェヴィチ(G. Staśkiewicz)、Medycyna weterynaryjna〈獣医学〉、1948年、第10号。 A・ペレンツ(A. Perenc)、"Pierwsze druki weterynaryjne w Polsce"〈ポーランドにおける初期の獣医学出版物〉、ルブリン、1955年、Annales Universitates Mariae Curiae Skłodowska Lublin-Polonia〈マリー・キュリー=スクウォドフスカ大学年報 ポーランド、ルブリン〉1954年、Sectio DD 補遺。 Sprawa... が整理され、幾ばくか書き直されたのはマルチン・シェンニク(Marcin Siennik)編集版の Lekarstwa doświadczone...〈実証済み医薬〉、(クラクフ?)、1564年、ワザシュ・アンドルィソヴィツ(Łazarz Andrysowic)印刷所。
※この「ビェルナトの作品か疑問が残るもの」の解説は、「ルブリンのビェルナト」の解説の一部です。
「ビェルナトの作品か疑問が残るもの」を含む「ルブリンのビェルナト」の記事については、「ルブリンのビェルナト」の概要を参照ください。
- ビェルナトの作品か疑問が残るもののページへのリンク