パンク・ロックの勃興
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「セックス・ピストルズ」の記事における「パンク・ロックの勃興」の解説
シンプルなロックンロール、反体制的な歌詞、斬新なファッション、メディアを意識したスキャンダルの濫発によりすぐに注目された。 1976年、大手レーベルのEMIと契約し、シングル「アナーキー・イン・ザ・U.K./アイ・ワナ・ビー・ミー」をリリースするが、出演したテレビで放送禁止用語を連発したことが問題となって契約を破棄され、結果としてバンドは巨額の違約金を手に入れた。その後、A&Mレコードと契約したが、シングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン/分かってたまるか」の発売直前に破棄され、またしてもバンドは巨額の違約金を手に入れた。最終的にヴァージン・レコードと契約する。 1977年にベーシストのグレン・マトロックが、ジョニー・ロットンとの不和などの理由で脱退。スティーヴ・ジョーンズはインタビューで、マトロックの脱退について、「彼は優れた作曲家だったけれど、ビートルズの影響が大きすぎた。彼はいつも足を洗っていて、ピストルズには見えなかった」と語っている。 後継ベーシストとして、古くからロットンと親しかったシド・ヴィシャスが採用された。このシドの加入で、ピストルズはよりスター性のあるバンドとなった。しかし、作曲面における功績が大きかったマトロックの脱退は、バンドの将来に暗い影を落とすことになった。 エリザベス女王在位25周年祝典の日に、テムズ川のボートでゲリラライヴを行い、英国国歌と同名の曲「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を演奏し逮捕された。このプロモーションの成果は上々で、全英シングルチャートで最高2位(NMEチャートでは最高1位)を記録したが、ジョニー・ロットンとポール・クックが右翼に襲われて重傷を負う事件が発生し、バンド活動はしばらく停滞した。
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