パワー競争の申し子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/16 20:34 UTC 版)
「スズキ・LJ50型エンジン」の記事における「パワー競争の申し子」の解説
1958年に発売された富士重工のスバル360以来、軽自動車は大衆車として、日本のモータリゼーションの発展を支えていた。しかし、1967年に本田技研工業から、4ストロークエンジンを持ち、グロス値31PSを誇るホンダ・N360が発売されると、それまでの普及型自動車の性格から一変、軽自動車は熾烈な出力向上競争におかれた。 スズキも強力形エンジンとして空冷3気筒のLC10型を登場させ、フロンテのスポーツモデルでは36PSを達成した。しかし、当時キャリイやジムニーに採用されていた2気筒のFB型ともども、シリンダーヘッド過熱による出力低下、いわゆる熱ダレが避けられず、主力車種であるフロンテ、キャリイ、そして過酷な運用条件を強いられるジムニー用として、水冷エンジンの開発が進められた。 こうして1971年、LC10型の水冷版であるLC10W型(英語版)はフロンテのマイナーチェンジとともに登場した。LC10Wは総排気量356ccの水冷2ストローク直列3気筒で、37PSを発生する仕様がフロンテのスポーツモデルに搭載された。翌1972年には2気筒のFB型も水冷化され、形式は新たにL50となった。
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