バーミンガム市長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:35 UTC 版)
「ジョゼフ・チェンバレン」の記事における「バーミンガム市長」の解説
1873年にバーミンガム市長 (Lord Mayor of Birmingham) に就任した。チェンバレンは自由放任された不衛生なバーミンガム市を積極的な都市改造・インフラストラクチャー設備で近代都市に生まれ変わらせた。この市政改革は19世紀後半のイギリス各都市の見本となった。 1875年には公衆衛生法の後押しもあり、市民の健康に大きな影響をもたらすガスの、1876年は水道事業の市営化を断行した。それまでは議会から選ばれた私企業がガス・水道事業を行っていたが、私企業では資金力が足りないため設備投資がなおざりとなりがちで様々な問題が発生していた。とりわけ水道の水質の悪さが伝染病の原因になっていた。利用料金の釣り上げと相まって、市民の不満が高まっていた。そこで市有化によって水道の水質の向上と漸進的な利用料金の値下げを図ろうとしたのである。この政策は「ガス・水道社会主義」と呼ばれた。 そのほか、ベンジャミン・ディズレーリ内閣が制定した労働者住宅改善法を使って都市改造も行った。「薄汚れた巨大村落に過ぎないバーミンガム市を一大商業都市にする」と宣言し、貧民窟を次々と取り壊してその土地を収用し、公園や街路などインフラ設備を行った。これにより市の中心部にあった巨大スラム街は商店街とオフィス街に変貌した。この事業は「建設革命 (Constructive Revolution)」と呼ばれた。
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