バアル・ハモンとは? わかりやすく解説

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バアル・ハモン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 09:10 UTC 版)

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Ba'al-Hamon
群集の支配者

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バアル・ハモン(“群集の支配者”)はカルタゴ主神。彼は空と植物の神格で、髭を生やし、曲がった羊の角をつけた老人として描かれていた[1]。バアル・ハモンの妻はタニト英語版だった[2]

文化と属性

バアル・ハモンの崇拝はカルタゴフェニキア人植民地の間で盛んだった。カルタゴの神々の中で、バアル・ハモンの至上性は、カルタゴとテュロスの間の関係がヒメラの戦いで壊れた後 、紀元前5世紀に遡ると信じられている[3]。現代の諸学者は、この神を北西セム語族の神 エール (神)または ダゴンに結びつけている[4]

北アフリカとカルタゴにおいて、バアル・ハモンは特に羊と結び付けられ、カルタゴ湾を横切ったところにある聖域ジェベル・ブ・コルネイン(二本角の丘)にて、バアル・カルナイム(二本角の主)としても崇拝された[要出典]。バアルはメルカルト英語版とは同一視されていなかったと考えられている(古くは同一視する説もあった)[要出典]

古代ギリシアの著作家達はティーターン神族のクロノスと同一視し、古代ローマにおいてはサートゥルヌスと同一視され、第二次ポエニ戦役に結果を受けたローマとカルタゴの間での文化的変容は古代ローマの宗教祭祀英語版であるサートゥルナーリア祭に影響を与えた[5]

古典古代の史料はカルタゴ人は幼児をバアル・ハモンへの供物として生きたまま焼いた、と報告している(これらの伝統に関する議論と主題の混乱についてはモロクを参照)。バアル・ハモンは、アフリカのサートゥルヌスとしてローマ化されたが、その場合は多産の神として表象されていた[6]

名称と性格

ハモン(またはハンモン)の意味は不明で、19世紀にエルネスト・ルナンが現在の テュルスとアッコの間にあるハモン(Ḥammon)の遺跡(現在のUmm al-‘Awamid )を発掘しエール・ハモン(El-Hammon)に捧げられた二つのフェニキア語碑文を発見した。エールは通常クロノスにあたると考えられており、 Ba‘al Hammon はクロノスに相当するものとされていたことから、エールとバアル・ハモンは同じものであるとされた。またしばしたヘブライ語/フェニキア語ḥammānは、'火鉢'を意味するとの説が唱えられ、”火鉢の主(Baal)”という文脈から、彼は太陽の神格を持つものとされた[7] イガエル・ヤディン は彼を月の神と考え、エドワード・リピンスキー英語版ダゴン神であると考えた[8]

フランク・ムーア・クロスは Khamōnとの関連を論じ、ウガリット語アッカド語のアマノス山(シリアとキリキアを分ける山脈)の名称との関連性を論じた。KhamōnをHaman山の一つとして、エール神のウガリット表記に由来すると論じた。バアル・ハモンに与えられた古代の月の神である"二本角の主"という名は 前2112年頃支配していたウル・ナンム朝時代の北シリアで崇拝されていた。これは聖書にある、カナンの征服の約束が与えられる前のアブラハムと彼の祖先達がシリアに滞在していた頃、ヘブライ族の祖先によって崇拝されていた。クロノスやサトゥルーヌスへのバアル・ハモンの関連づけは古代メソポタミアの史料には無く、古代バビロニアの史料は、明確にバアル・ハモンをエール神の息子としている。このエールは、"天空の主" と称された古代シュメールのニップール市の主神であったエンリル神と同じ神格を持っていた。彼の二人の息子がシン(またはナンナ・スエン)という月の神、及びアスタルト(または“雲の乗り手”バアル)として知られていた。月の神の娘は金星の神イシュタルで、ウガリットやカナン文字の古代史料では、バアル・アスタルト(Baal Ishkur)の妻となった。

地名として

バアル・ハモン(Ba'al-Hamon、Ba'al-Hammon, Ba'al Khamon, Baal-Ammonなどの表記がある)は雅歌8:11で言及されている。それはソロモン王が所有していた生産性の高いワイン畑の場所を示し、王は畑を貸し出して1000シェケル の収入を得ていた。その場所は Baal-gadに比定されていて、アシェル族Hammon にも比定されている(ヨシュア記 19:28)。パレスチナ中部のDothaim近郊のBelamonに比定する学者もいる。一部の学者は、直接に場所を示しているのではなく、ソロモンが支配した領域が富める場所であったことの比喩であるとの見方を提案している。

脚注

  1. ^ Brouillet, Monique Seefried, ed. From Hannibal to Saint Augustine: Ancient Art of North Africa from the Musee du Louvre. Michael C. Carlos Museum, Emory University: Atlanta GA, 1994.
  2. ^ Carthage, a history, Serge Lancel, p195
  3. ^ Moscati, Sabatino (2001). The Phoenicians. Tauris, p. 132. ISBN 1-85043-533-2
  4. ^ Carthaginian Religion by Roy Decker”. About.com. 2010年7月7日閲覧。
  5. ^ Robert E.A. Palmer, Rome and Carthage at Peace (Franz Steiner, 1997), pp. 63–64.
  6. ^ Carthage, a history, Serge Lancel, p197
  7. ^ Walbank, Frank William (1979). A historical commentary on Polybius, Volume 2, Clarendon Press, p. 47
  8. ^ Edward Lipinski, Dictionnaire de la civilisation phenicienne et punique (1992: ISBN 2-503-50033-1).

関連項目

外部リンク


バアル・ハモン

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モレク」の記事における「バアル・ハモン」の解説

中世以降注釈者たちは、モレクフェニキア主神であるバアル・ハモンと同一視するようになった。これには古典古代作家たちが伝えるバアル・ハモンの崇拝人身供犠特徴としていたことが大きい。プルタルコスらは、カルタゴではバアル・ハモンのために、人が焼きつくす捧げ物として犠牲にされたことを伝え、この神をクロノスあるいはサートゥルヌス同一視した1921年オットー・アイスフェルトは、モレクについての新説発表した。これはカルタゴ発掘調査基づいており、mlk「王」の意味でも神の名でもないとする。アイスフェルトの説によれば、この単語は、少なくとも幾つかの場合には人身供犠を含む、ある特定の犠牲形式を指す語であった子供つかんでいる祭司描いたレリーフ発見された。また祭儀場らしい場所からは、子供の骨が大量に発見された。子供には新生児含まれていたが、より年齢上のものもあり、ほぼ6歳上限とするものであったアイスフェルトは、旧約聖書の中で語義不明であった「トフェト」 (tophet)がこの祭儀場を指す語であった唱えた同じような場所は、フェニキア人植民地があったサルディニアマルタシチリアでも発見された。 アイスフェルトの説は、発表され以来幾人かの疑念除けば、ほぼ支持されてきた。しかし1970年カルタゴ人身供犠についての見解修正する説をサバティーノ・モスカティが唱えた。モスカティはカルタゴでの人身供犠日常的なものではなく極めて困難なときに限り捧げられたと考えた。この点についての論争は、現在のところ決着見ておらず、さらなる考古学的証拠発見待たれている。

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「バアル・ハモン」を含む「モレク」の記事については、「モレク」の概要を参照ください。

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