ハル研究所での活動
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1996年、ハル研究所に移籍。糸井重里に惚れ込まれ、『MOTHER3』の開発に参加する。 『MOTHER3』は2000年から3年ほど開発が止まっていたが、酒井は開発初期から完成までメインスタッフとして関わり続けた。初期のメインスタッフで完成まで名を連ねたのは、酒井の他には任天堂の田邊賢輔などだった。糸井は酒井について、「彼なしではMOTHER3は完成しなかった」「彼はMOTHER3のシナリオを一番よく知っている」とインタビューで語っている。マジプシーと呼ばれる種族のキャラクターの名前に音楽用語であるモード(イオニアン、ドリアンなど)を当てはめることを考えたのも酒井である。 完成版にはサウンドプレーヤー機能で聴けるものだけでも250曲の楽曲を制作している。2006年9月22日、東京・渋谷で行われたゲームミュージックオーケストラで酒井が編曲したMOTHERメドレーが演奏された。さらに2006年11月2日、酒井が本作の楽曲を自ら編曲した音楽CDが、2007年2月7日にはサウンドトラックが発売された。 酒井はN64版『MOTHER3』の開発中止のため、ハル研究所所属としてのデビュー作は『大乱闘スマッシュブラザーズDX』となっている。のちに続編『大乱闘スマッシュブラザーズX』でも作曲・編曲を担当し、30人以上ものゲーム作曲家が参加した同作品の中でも最多クラスの編曲を担当した。本作では、「MOTHER3 愛のテーマ」などのMOTHERシリーズ音楽の編曲も一部担当している。
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