ハリウッド:ナイトクラブ、映画、写真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 06:06 UTC 版)
「リリ・セイント・シア」の記事における「ハリウッド:ナイトクラブ、映画、写真」の解説
ハリウッドのチーロズに「解剖爆弾」("Anatomic Bomb")という触れ込みで出演していた際もセイント・シアは猥褻として糾弾されることになった。ハリウッドの悪名高い弁護士ジェリー・ギーズラーを法廷代理人とし、セイント・シアは陪審に対して自らのショーは洗練されたエレガントな内容のものだと証明しようとした。セイント・シアが示したように、ショーの内容はドレスを降ろしたり、帽子をかぶったり、ブラジャーを脱いだり(下には別の衣装を着用している)、ネグリジェになるだけのものだった。さらにそれから控えめにメイドの後ろで服を脱ぎ、泡風呂に入って水しぶきをあげ、いくぶんかは衣類をつけた状態で出てくるといった程度であった。証人として出廷した後、当時の新聞が述べているように「弁護側も他の皆も休廷した」。80分ほど陪審団が協議した後、セイント・シアは無罪となった。 セイント・シアは数本の映画に出演したが、俳優としてのキャリアはうまくいかなかった。1953年にハワード・ヒューズの支援を受けてはじめてメジャー映画『四十人の女盗賊』(Son of Sinbad)に出演した。この映画は、ある批評家によると「出歯亀のお楽しみ」で、セイント・シアは魅力的なスター候補女優でいっぱいのバグダードのハレムの主要メンバーの役であった。この映画はカトリック矯風団から非難を受けた。セイント・シアは1958年のノーマン・メイラーの『裸者と死者』の映画版にも出演した。この映画ではセイント・シアは「ジャージー・リリ」というホノルルのナイトクラブのストリッパー役を演じており、恋人である兵士は彼女の絵をグラウンドシートの下に描いて仲間に自慢するという内容だった。セイント・シアがナイトクラブで行うショーは検閲官により大きくカットされた。しかしながらセイント・シアの映画におけるキャリアは短いもので、ストリッパーとして端役を演じるか、自身として出演するのがふつうであった。セイント・シアのダンスはアーヴィング・クロウによる2本の映画、『ヴァラエティーズ』(Varietease)と『ティーズラマ』(Teaserama)で華々しくとりあげられている。 セイント・シアはピンナップ写真でも有名で、とくにハリウッドの黄金時代における主要なグラマーフォトの写真家「ハリウッドのバーナード」としてよく知られていたブルーノ・バーナードが撮影した写真はよく知られていた。バーナードは、セイント・シアがお気に入りのモデルで、自分のミューズだったと述べている。
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