ノッタワサガでの戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 15:16 UTC 版)
「ヒューロン湖の戦闘」の記事における「ノッタワサガでの戦闘」の解説
勝利したにもかかわらず、マキノー島のイギリス軍は食料が不足し、冬の初めにヒューロン湖が凍結するまでに再補給を受けられなければ餓える虞があった。シンクレアはノースウェスト・カンパニー所属の小型スクーナーを捕獲し、捕らえた人の一人からイギリスの補給基地がノッタワサガ湾にあることを聞いた。シンクレアは「ナイアガラ」、「スコーピオン」、「タイグリス」を率いて8月13日にそこに到着した。 ノッタワサガのイギリス軍はMiller Worsley大尉指揮下の水兵21名、9名のフランス系カナダ人ボヤジャーと23名のインディアンであった。300樽の食料を積んだ非武装のスクーナー「ナンシー (Nancy) 」もそこにいた。「ナンシー」はノッタワサガ川を上流に3キロ引いていかれ、それを守るために2門のカロネード砲と1門の野砲を備えた砦が急いで作られた。 クローガンの軍が上陸し、「ナンシー」も発見した。翌日攻撃がおこなわれた。アメリカ艦は砂丘越しに砲撃を行ったが成果は挙げられなかった。歩兵を支援するため榴弾砲2門を上陸させた。Worsleyは既にこれ以上の防衛は不可能であると決め、砦とスクーナー破壊の準備を行った。Worsleyが作った火薬の道に榴弾砲の砲弾が当たり、Worsleyのかわりに火薬に点火した。Worsleyの部隊は一人の死者と一人の負傷者を出した。 アメリカ軍は壊れた砦から大砲を回収し、それから木を切り倒して川を塞いだ。シンクレアは砲艦を湾の封鎖のために残し、「ナイアガラ」でデトロイトへ向かった。
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