ニ号研究開始前の希元素鉱物資源の状況
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「飯盛里安」の記事における「ニ号研究開始前の希元素鉱物資源の状況」の解説
1922年からの調査で国内には有望な希元素の資源が無いことが分かっていたので検討の結果、1934年に日本の統治下にあった朝鮮半島全域にわたる調査が行われた。調査には室員で長男の飯盛武夫のほか室員の吉村恂、畑晋が同行した。その結果河川流域の砂金採取場の残砂(黒砂)中に種々の放射性鉱物が含まれていることが判明した。それらはサマルスキー石、モナズ石、、タンタル石、、ゼノタイム、褐簾石、フェルグソン石、ミクロライト、ジルコン等のペグマタイト鉱物であった。これら資源を活用するために1935年ごろから理化学研究所内に研究室付属試験工場(理研希元素部)が設けられた。主として南朝鮮の河川流域に産する黒砂を取り寄せ、選鉱してチタン鉄鉱、ジルコンその他から分離してモナズ石精鉱とし、化学処理する作業が行われた。選鉱には淘汰盤による比重選鉱と電磁石による磁力選鉱が行われた。精鉱を濃硫酸と共に加熱して分解し、水に抽出した後希土の大部分を硫酸ナトリウム複塩として沈殿させ、上澄液中の少量の希土、トリウム、ウラン等をも完全に回収した。製品はサーチライト用炭素電極に使用する混合希土フッ化物、防眩ガラス用シュウ酸ジジム、石炭液化研究用触媒の酸化トリウムなどであった。
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