ニューヨーク・フィル音楽監督時代とその後
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2002年に楽員の総意によりニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任。2008/09年のシーズンまで務めた。また2004年には団員が全員「団員」としてではなく「ソリスト」として契約しているアルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団(「トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団」「トスカニーニ交響楽団」と表記されることもある)の才能に以前から惚れ込んでいたこともあり、このオーケストラの音楽監督に就任し、同楽団の運営主体が2006年に財団法人に改組されると、改めて同楽団の音楽監督に就任。また、同年からバレンシアにあるソフィア王妃芸術館(よく似た名前のソフィア王妃芸術センターと混同してはいけない)の音楽監督も兼ねている。前者に関しては「このポストを生涯続ける」という声明を出している。2005年5月3日には、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に基づく自作のオペラ「1984年」がロンドンのロイヤルオペラで初演され、大喝采を浴びた。2008年2月26日には、米朝関係の緊張する中、北朝鮮の東平壌大劇場でニューヨーク・フィルの平壌公演を指揮して話題となった。アメリカのオーケストラが同国で演奏するのはこれが初めてであった。 2012年の新シーズンより、離任するクリスティアン・ティーレマンの後任として、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任した。2015年以降の首席指揮者が決定するまでの3年間契約での暫定的な就任だったが、2014年に健康上の理由から任期1年を残して退任した。 2014年7月13日に、ヴァージニア州キャッスルトン(英語版)の自邸にて、肺炎及びその合併症の為に死去。84歳没。
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