ニューヨーク・フィルとの蜜月
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「交響曲第9番 (マーラー)」の記事における「ニューヨーク・フィルとの蜜月」の解説
1909年から1910年にかけてのシーズンでは、マーラーはメトロポリタン歌劇場ではほとんど指揮せず、代わりにニューヨーク・フィルとの演奏会を44回も持った。このなかで、自作の交響曲第1番や、リヒャルト・シュトラウス、フェルッチョ・ブゾーニ、クロード・ドビュッシーらの作品、セルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ラフマニノフ自身のピアノによる)などを演奏した。 1910年3月5日、メトロポリタン歌劇場特別公演でピョートル・チャイコフスキーのオペラ『スペードの女王』の新演出を上演。その後ヨーロッパに戻る。 同年4月17日、パリ・トロカデロ宮で自作の交響曲第2番を指揮。ドビュッシーやポール・デュカスが聴きに来るが、アルマの回想録によると、彼らは第2楽章の演奏途中で出て行ったという(ドビュッシー研究家のフランソワ・ルシュールは、この証言を「到底信じられないような情報」と評している)。 6月、交響曲第8番の初演(9月)に向け、練習にとりかかる。このころ、病気療養中のアルマが建築家のヴァルター・グロピウスと出会う。
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