ニムルドの王女たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 02:55 UTC 版)
「ステファニー・ダリー」の記事における「ニムルドの王女たち」の解説
1989年、イラク考古学省は、古代ニムルドの宮殿の一群の墓を発掘した。石棺には2人の女性の遺骨と共に、26kg以上の黄金の品々が収められていた。その埋葬品の大半には文字が刻まれていた。碑文によれば、その女性は紀元前700年頃から王妃であったことようだ。ダリーは、サルゴン2世の妻アタリヤ(Ataliya)という名前がヘブライ語起源であることを証明した。他の女王のヤバ(Yaba)という名前もまた、ヘブライ語であったかもしれない。おそらく、この名前は「美しい」という意味の単語で、宝石装身具に記されていたアッシリア語の「バニトゥ(Banitu)」も同義である。ステファニー・ダリーは、これらの女性はユダヤ人の王女たちであるとした。一緒に埋葬されているから、おそらくは母と娘であろう。多分、エルサレムのヒゼキヤ王の親族で、政略結婚のためにアッシリア王のもとへと差し出されたのだと、ダリーは結論づけた。この協定は、当時のユダとアッシリアの政治的な関係に新しい光を照らすものである。また、この分析により、旧約聖書において曖昧だった部分(列王記下第18章第17~28節とイザヤ書第36章第11~13節)について、これまでとは異なる説明が可能となる。エルサレムを包囲するアッシリア軍の指揮官は、おそらくはアッシリア王に近い親族であったと思われるが、彼はエルサレムの人々に対して、こう呼びかける。反逆の意思を捨て、アッシリア王に従え、と。「ラブ・シャケは立ってユダの言葉で大声で呼ばわり、こう言い放った。『大王、アッシリアの王の言葉を聞け。』」 彼は、ヘブライ語を話すことができた。なぜなら、彼は母の膝の上でそれを習ったからである。
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