ナクソス侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 03:25 UTC 版)
詳細は「en:Siege of Naxos (499 BC)」を参照 紀元前499年、ダレイオス1世の従兄弟メガバテス率いるペルシアの三段櫂船200隻がナクソスに派遣された。当初、この艦隊はヘレスポントスに向かう航路をとってナクソスの目を欺こうとしたが、アリスタゴラスとメガバテスの不和により目的が露見したため、ナクソスに本土防備の猶予を与えることになった。ナクソスは強固な市壁と山に囲まれた難攻不落の都市で、ギリシア本土から商人船を利用した補給を確保して籠城したため、包囲戦は4か月に渡り、ペルシア軍は軍資金欠乏によって撤退を余儀なくされた。 ミレトスは艦隊の派遣にも多額の戦費を負担したが、ナクソス遠征が失敗に終わり、資金の回収は困難になった。地位の維持に不安を覚えたアリスタゴラスは、ペルシアに対して反乱を企てた。彼は、イオニアにある主要な都市国家の僭主を捕えて追放し、民主制を敷くことで市民の歓心を買う一方、スパルタ王クレオメネス1世に援軍を求めた。この交渉は決裂したため、アリスタゴラスは 今度はアテナイに援軍を要請した。 当時のアテナイは、スパルタ、アイギナ、ボイオティア、テーバイと敵対する四面楚歌の状況にあった。このため、アテナイの政治的指導者であったクレイステネスはペルシアと同盟を結ぼうとしたが、独立を唱えるアテナイ民会はペルシアへの服従を拒否した。さらに、アルタプレネスによって、アテナイが僭主制を打倒した際に追放したヒッピアスの僭主復帰が発令されたことから、アテナイ民会はアリスタゴラスの要求に応じて、ミレトスの支援を決定した。
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