ナクシェ・ロスタム碑文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:09 UTC 版)
「ミシケの戦い」の記事における「ナクシェ・ロスタム碑文」の解説
ナクシェ・ロスタムにあるシャープール1世の碑文には、ミシケの戦いに関する3か国語での言及がある。 最初に我らが帝国内で地位を確立した時、ゴルディアヌス・カエサルはローマ、ゴート、ゲルマニアのすべての地から軍勢を集め、アスーリスターン (メソポタミア)に向けて、エーラーンシャフル (サーサーン朝)と我らに対し進軍してきた。アスーリスターンの国境のミシケで、大規模な正面戦闘が起きた。ゴルディアヌス・カエサルは殺され、ローマ軍は滅ぼされた。そしてローマはピリップスをカエサルとした。その後ピリップス・カエサルは我らと条約を結び、50万ディナールを彼らの命の身代金として支払い、我らの従属者となった。そしてこれゆえに、我らはミシケをペーローズ=シャープール(勝利者シャープールの意)と改名した。
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