ドーラ・ケント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 04:48 UTC 版)
1987年、医師たちが制止するなか、ソール・ケントは入院していた危篤の母親ドーラ・ケントを病院から運び出し、財団の施設へと向かった。施設到着後に死去したドーラは頭部のみが冷凍保存された。 その後、息子のソールはドーラの胴体を火葬しようとしたが、医師の死亡診断書がなかったため(ドーラの死去する際に医師が立ち会っていなかった)、公衆衛生局から火葬の許可が降りなかった。このことから衛生局が問題視し、ドーラの胴体は検死解剖が行われることになった。解剖の結果、ドーラの胴体からはハビルーツ酸の睡眠薬が摘出されたことにより、この薬がドーラの生前と死後のいつ処方されたものであるかを巡って事態が事件化した。薬が投与されたのが生前であれば、それはつまりドーラが殺害された可能性があるためである。 事件の解明のため、検事はアルコーに対して頭部の検死を要請したが、これに対し財団は、薬は彼女の死後に投与されたものであると主張した(アルコーHP内のDora Kentに関する文章)。そして故人の遺志に背くものとしてアルコーは頭部の提供を拒否したため、検事側は強制捜査へと踏み切り、事件は大問題と化した。警察の捜査にも関わらず、ドーラの頭部は発見されることはなかった。後日、財団が検察と警察を裁判所へ訴えた結果、カリフォルニア州の法律により、個人の意思が明確である場合はそれを尊重するべきと判断され、両者は財団への捜査を禁じられた。 結局、殺人容疑に関しては証拠不十分として、ドーラの胴体は火葬されることとなった。また、息子のソールは自身も人体冷凍保存の研究者であった。 この一件により、アルコーのアメリカ国内での知名度が上がり、大きな論争が巻き起こることとなった。
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