ドイツロマン主義における少年の魔法の角笛の評価
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『少年の魔法の角笛』以前に、ドイツには民衆詩についての全般的な論争があった。特にハイデルベルクのロマン主義者とヨハン・ハインリヒ・フォスの間の論争が注目される。芸術性をもった民衆詩というものは可能かどうか、そのような詩の純粋な模範というものは提示しうるのかどうかが論争になった。『角笛』はこのような状況の中に、芸術的な民衆詩を提示するものとして登場した。これに対してフォスは1808年、本を刊行し、「ロマン主義者のパロディ」と痛撃を与えた。 編者2人の間にも争いがあった。ブレンターノは、アルニムが集めた詩を芸術的に書き直したことを非難した。ここには原詩の純粋さを保つべきであり、技巧を加えるべきではないとする要求と、詩はできる限り芸術的でなければならず、収集者が推敲(すいこう)を加え、その詩が本来蔵している美的な可能性を引き出すべきであるとする要求の対立がある。同じような論争は、自然詩と芸術詩の間の論争としてグリム兄弟の間でも展開された。 ゲーテは第1巻に接し、好意的な批評を発表した。ゲーテがとくにほめたのは、詩集の素朴な側面であった。 『角笛』のドイツ文学史における評価には今日でも、ある種のゆれがある。民衆の詩を集めたものとして評価される一方、アルニムの改作には否定的な態度をとる論者が多い。
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