トンチャイ・メーキンタイ
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トンチャイ・メーキンタイ TCh(勲章)、RNgBh(勲章) |
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基本情報 | |
原語名 | ธงไชย แมคอินไตย์ |
出生名 | Albert McIntyre |
別名 | Bird(バード) |
生誕 | 1958年12月8日(66歳) バンコク、タイ |
ジャンル |
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職業 |
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活動期間 | 1983–現在 |
レーベル | GMM Grammy |
トンチャイ・メーキンタイ(タイ語: ธงไชย แมคอินไตย์、英語: Thongchai McIntyre、本名:アルバート・トンチャイ・メーキンタイ、1958年12月8日 - )は、タイの歌手・俳優で、2023年のタイ国家芸術家(舞台芸術部門)に選ばれた。バード・トンチャイ(Bird Thongchai)[1]、ピー・バード(「兄さんバード」の意)または単にバード([th])としても知られる。トンブリ商業大学で経営学の高等ディプロマを取得した後、エンターテインメント業界での活躍により、ラーママハラ工科大学タンヤブリ校から2つの名誉学位を授与された。2002年に舞台芸術および音楽の名誉学士号、2022年に国際音楽研究の名誉教育博士号(Doctor of Education, Honoris Causa)を受けている。[2][3]
タイで最も著名なスーパースターと見なされており、[4][1] タイ史上最も商業的に成功した歌手の一人で、累計2,500万枚以上のアルบムを売り上げている。[5] 100万枚以上の売上を記録したソロスタジオアルバムを7作持つというタイ記録を保持しており、[6] さらに特別アルบั้ม2作も同様に100万枚を超えている。[7]
代表的な業績として、1990年のアルバム『Boomerang』があり、これはGMMグラミーのアーティストとして初めて200万枚以上を売り上げた作品となった。[8] 同年、ドラマ『Khu Kam』(1990年)でコボリ役を演じ、当時のタイで最高視聴率を記録したテレビドラマとなった。[9] これら二つの成功は「バード・フィーバー」現象を生み出し、[10] タイの音楽業界およびテレビ業界に大きな影響を与えた。
その後、1991年に発売されたアルบั้ม『Prik Kee Noo』は350万枚以上を売り上げ、1990年代のタイにおけるベストセラーアルバムとなった。[11] さらに、2002年のアルバム『Chud Rab Kaek』は500万枚以上を売り上げ、タイ史上最高のアルバム売上記録を樹立した。[12][13]
幼少期
トンチャイ・メーキンタイはバンコクで生まれた。英語名はアルバート・マッキンタイで、愛称は「バード」である。彼はジェームズ(ジミー)・マッキンタイ(スコットランド系タイ陸軍医療隊員)とウドム・マッキンタイの間に生まれた10人兄弟の9番目である。比較的貧しい家庭で育った。子供の頃、トンチャイは紙袋を折ったり、宝くじを販売したり、牛乳缶を集めて売ったり、伝統的な帽子を縫ったりして家計を助けていた。また、バンケーのスラムで子供たちに英語を教え、寄付に応じて5〜10バーツの収入を得ることもあった。[14]
幼少期から歌への情熱を持ち、寺院の祭りで行われる歌のコンテストに頻繁に参加し、時折賞を受けることもあった。家族と共に歌の練習を行い、ほとんど独学で習得した。兄弟姉妹7人も音楽の才能を持ち、家族バンド「モンドゥーリアン」を結成した。
トンチャイは初等教育をワット・ニマーンノラディー校で修了し、音楽や舞踊の活動で教師を手伝うボランティアを行い、陽気で表現力豊かな性格として知られていた。その後、パンヤウォラクン校で中等教育を受け、トンブリ商業大学で経営学の高等ディプロマ(Por Wor Sor)を取得した。[15]
経歴
トンブリー商業大学(Thonburi Commercial College)を卒業後、カシコーン銀行(タイ農民銀行)で働きながらモデルの仕事をしていた時に、有名なテレビプロデューサー、カイ・ウラーユス(Kai Varayuth)の目に留まりスカウトされた。1983年トンチャイは銀行に勤務しながらチャンネル3のテレビ番組シリーズ『ナム・ターン・マイ (น้ำตาลไหม้)』(燃える砂糖)に出演した。この初めてのテレビ出演で才能が認められ、すぐにテレビや映画やラジオの出演も含めた様々な仕事が舞い込むようになった。
同年トンチャイは有名な歌謡コンテスト、サイヤム・コンラカーン・ミュージック・ファウンデーション(Siam Kolkarn Music Foundation)に出場し、最高歌手賞など三つの賞を受賞した。コンテスト会場にゲストとして招かれていた有名歌手テー・レーワット・プティナン(เต๋อ เรวัต พุทธินันท์)は、トンチャイの歌唱力を買い、アルバムを作製するよう促した。1985年トンチャイは27歳でデビューアルバム『ハート・サーイ・サーイ・ロム・ソン・ラオ』(砂浜、風、僕たち二人)をリリースし成功した。以来トンチャイはタイ・ポップミュージック界の代表者として君臨し続け、人気は衰えていない。21世紀に入ってからもほぼ毎年アルバムをリリースしており、コンサートのチケットは常に完売する。
歌手活動

曲で最も有名なものは、『プリック・キーヌー』(唐辛子)、『ブーメラン』、『サバーイ・サバーイ』 (リラックス・リラックス)、『コープ・ヂャイ・チンチンขอบใจจริงๆ(本当にありがとう)』などである。近年リリースされたルークトゥンのシングルでは、2001年発売のアルバム『スマイルクラブ』に収録されている『ラオ・スー・ガン・ファンเล่าสู่กันฟัง(話して聞かせて)』、2002年のアルバム『チュット・ラップ・ケーク』に収録された女性歌手チンタラー・プーンラープ จินตหรา พูนลาภ)とのデュエット『マー・タムマイมาทำไม(どうして来たの?)』、イーサーン語で歌うチンタラー、南タイ語で歌うナット・ミリア(Nat Myria Benedetti)、北タイ語で歌うカトリーヤ・イングリッシュ(英:Katreeya English แคทลียา อิงลิช)[16]の3人をゲストに中部タイ語(標準語)のトンチャイが歌った『フェーン・ジャー แฟนจ๋า(ねぇ、愛しい人)』がある。2005年発売のアルバム『Volume 1』に収められた『ヤーク・ターム・ゴー・ヤーク・トープอยากถามก็ตอบ(尋ねたいなら答えてあげる)』と『マイ・ケーン・イン・ペーไม่แข่งยิ่งแพ้ (戦わなければさらに負ける)』もヒットした。
2007年11月、『Simply Bird』発売。同年12月『ポー・ソー 2501』を発売。 2011年、東日本大震災被災・復興へのメッセージソング「明日のために」を発表(一部日本語)。
歌手デビュー25周年を迎えた2012年には BBB(Babb Bird Bird)と呼ばれる通常のコンサートとは異なる最大規模のコンサート「วันของเรายังYoungอยู่」が11月末、2008年以来4年ぶり10回目として開催された。
2013年2月、北海道札幌で開催された第64回「さっぽろ雪まつり」に日・タイ友好親善大使として公式訪問。 同年11月28日は 日・Asean友好協力事業「日・Asean音楽祭〜災害復興への祈り〜」にタイ代表として出演。
2019年8月の「Singing Bird concert#1」以降、コロナ禍でコンサートの開催ができずにいたが2022年11月、バンコク郊外ノンタブリーにあるインパクトアリーナで3年ぶりに「Singing Bird #2~Lifetime soundtrack concert」を開催する予定。コンサートの開催発表と同時に、「アサ―サヌック」以来12年ぶりにコラボアルバムではないトンチャイのオリジナルアルバム「BIRD22」が7月22日に発売された。
2022年に歌手デビュー36周年を迎えた今も精力的に活動を続けている。
俳優
映画やテレビドラマ・シリーズに数多く出演しているトンチャイだが、最も特筆すべきは第二次世界大戦中のタイが舞台の悲劇恋愛小説を基にした作品『クーガム (คู่กรรม)』(邦題『メナムの残照』、英題:Sunset at Chaophraya)であろう。トンチャイは1990年に放送された全26話のテレビドラマで日本海軍大尉小堀を演じ、タイチャンネル7で金曜日から日曜日の21:00-22:00に放送される。当時の視聴率は40%を超え、週末には町から人が消えるという社会現象を起こすほどの人気を博した。このドラマのヒットによりタイ人が日本人に好印象を持つようになり、タイが現在のような親日国になるきっかけを作った。1996年公開の映画でも小堀を演じている。映画は同年の大ヒット作品のひとつで、タイ映画としては初めて国外へのホーム・ビデオ配給となり、1998年に英語の字幕つきのVHS形式で販売された。2004年公開の『2046』には自身(バード)の役で一瞬登場する。
トンチャイはタイに進出している日本企業の現地放映コマーシャルにも起用されている。1987年から89年まで富士フイルム、1990年にパナソニック、2005年にホンダ、2006年にキリンビバレッジ(生茶)のコマーシャルに出演している。
2015年4月、タイ地上波最大手のBECが史上最大級の予算をかけ制作した連続ドラマ「ゴン キモノ(กลกิโมโน:邦題「きもの秘伝」)の主役である鶴の神・星の皇子として17年ぶりに俳優活動を復活。海外ロケ地として九州の観光地(福岡・佐賀・長崎・熊本)が選ばれ、2014年春より1年をかけて撮影をされた。放送後は北九州の河内藤園や佐賀の祐徳稲荷等のロケ地巡りに九州を訪れるタイ人観光客が急増するなどの影響を与えた。
私生活
タイの仏教では男性は一生に一度は出家することが望ましいとされており、仏教徒のトンチャイも1997年末から1998年はじめにかけて短期間出家した[17]。
タイの最大レーベルであるGMMグラムミー社(G"MM' Grammy จีเอ็มเอ็ม แกรมมี่)の社長、パイブーン・ダムロンチャイタム(Paiboon Damrongchaitham)と親しいトンチャイは、同社の重役を務め、自社株を大量に保有している。
主な作品と評価
トンチャイ・マクインタイの歴史的なキャリア記録(2022年時点)[18][19][20] | |
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主な記録 | |
1986年 | GMMグラミーの男性アーティストとして初めてカセットテープ50万枚以上を売り上げた(アルバム『Hat Sai Sai Lom Song Rao』)。 |
1988年 | 1980年代のスペシャルアルバム部門で最も売れたアーティストとなった(アルバム『B.E. 2501』)。ただしレーベルは正確な販売枚数を公表していない。 |
1990年 | GMMグラミーのアーティストとして初めてカセット200万枚以上を売り上げた。同年、当時のタイ史上最高視聴率を記録したドラマ『Khu Kam』に主演(視聴率40)。 |
1991年 | 1990年代で最も売れたアーティストとなった(アルバム『Prik Kee Noo』、350万枚以上)。また、タイ史上最多の連続コンサート公演29回を記録(『Babb Bird Bird Show』#5)。 |
2002年 | タイ音楽史上最高の売上を記録した(アルバム『Chud Rab Kaek』500万枚以上)。発売から3週間で100万枚を突破し、VCD/DVDコンサートも300万枚以上を売り上げた。全フォーマット合計では800万枚以上となった。 |
2004年 | 2000年代で最も売れたスペシャルアルバムとなった(アルバム『Bird-Sek』、250万枚以上)。 |
2008年 | タイ史上最多観客を動員したコンサートに出演(『Babb Bird Bird Show』#9、観客12万人)。 |
2011年 | その年のCD売上とデジタルダウンロードで最高記録を達成。さらに2010年代(2010–2017)でも最高記録となった(アルバム『Asa Sanook』)。 |
商業的成功
トンチャイは多数のスタジオアルバムおよびスペシャルアルバムをリリースしており、累計売上は2,500万枚を超える。アジアで最も売れたアーティストの一人に数えられている。[21]
売上100万枚以上を記録したアルバムは9作あり、 スタジオアルバム7作: 『Boomerang』(タイ語: บูมเมอแรง、1990年)、 『Prik Kee Noo』(タイ語: พริกขี้หนู、1991年)、 『Thor Thong』(タイ語: ธ.ธง、1994年)、 『Thongchai Service』(タイ語: ธงไชยเซอร์วิส、1998年)、 『Tu-Pleng Saman Prajam Barn』(タイ語: ตู้เพลงสามัญประจำบ้าน、1999年)、 『Smile Club』(タイ語: สไมล์คลับ、2001年)、 『Chud Rab Kaek』(タイ語: ชุดรับแขก、2002年)
と、スペシャルアルバム2作: 『Khon Nok Kab Dok Mai』(タイ語: ขนนกกับดอกไม้、1995年)、 『Bird-Sek』(タイ語: เบิร์ด-เสก、2004年)である。 [22]
また、各年代で最も売れたアルバムを4作持つ記録も保持している。男性ソロアルバムでは、1990年代は『Prik Kee Noo』、2000年代は『Chud Rab Kaek』が最も売れた。スペシャルアルバムでは1980年代は『B.E. 2501』、2000年代は『Bird-Sek』がトップである。[23] 2017年にはアルバム『Asa Sanook』(2010年)がデジタル時代(2010–2017)の50大ベストセラーアルバムおよびダウンロード数トップに選ばれた。
メディア評価と文化的影響
2002年、ラムカムヘン大学の研究「Bird: Why Does He Remain a Superstar After 20 Years?」では、感謝の心、歌唱力、自己研鑽、エンターテイナーとしてのカリスマ性、模範的人物であることが人気の主な理由として挙げられた。
2016年、Sanookは過去30年間で最も成功したタイのアーティストとしての要因を分析し、1983年のテレビドラマ『Nam Tan Mai』で俳優デビューし、Mekhala Awardsで助演男優賞にノミネートされたこと、1984年にSiam Kolakarn歌唱コンテストを経てGMMグラミーと契約、1986年の『7 See Concert』で司会を務めベストホスト賞を受賞したこと、1987年の『Sabai Sabai』で国際的な知名度を得たことなどを挙げた。キャリアの重要なマイルストーンとして、アルバム『Boomerang』やテレビドラマ『Khu Kam』(1990年)、1997–2001年の経済危機下でのミリオンセラーアルバム(『Thongchai Service』1998年、『Tu-Pleng Saman Prajam Barn』1999年、『Smile Club』2001年)、アルバム『Chud Rab Kaek』(2002年)、スペシャルアルバム『Khon Nok Kab Dok Mai』(1995年)、『Bird-Sek』(2004年)、コンサート『Babb Bird Bird Show No. 9』がある。また、国家行事でロイヤル・トリビュート曲を歌唱したことでも知られる。[18]
2022年、Bangkok Biz Newsはトンチャイを過去40年間でタイNo.1スーパースターと評した。デビューアルバム『Hat Sai Sai Lom Song Rao』(1986年)は男性グラミーアーティストとして50万枚以上を売り上げた記録がある。『Prik Kee Noo』は1990年代で最も売れたアルバム、また『Babb Bird Bird Show No. 5』は単一公演で最多回数のコンサート記録を樹立した。『Asa Sanook』もデジタル時代(2010–2017)の売上とダウンロードでトップを記録した。[19]
Workpoint Todayは、トンチャイの影響力を「タイ芸能界の究極のスーパースター」と表現した。過去40年間で約3,000万枚のアルバムを販売し、キャリア初期20年間で「Bird Fever」現象を音楽、テレビ、ミュージカル、映画に巻き起こした。世界および国内の音楽トレンドの変化にもかかわらず、現代の作曲家・プロデューサーと協働し独自のスタイルを維持しながら順応した。外見、声、舞台表現力、音楽的才能が魅力とされ、努力とカリスマ性と相まってタイ現代音楽史上屈指のエンターテイナーとされている。[24]

ディスコグラフィー
アルバム(*印はジョイント・アルバム)
- 『ハート・サーイ・サーイ・ロム・ソーン・ラオ(หาดทราย สายลม สองเรา)』1985年
- 『サバーイ・サバーイ(สบาย สบาย)』1986年
- 『ラップ・クワン・ワン・マイ(รับขวัญวันใหม่)』1987年
- 『トンチャイ 2501(ธงไชย 2501)』1987年
- 『ソー・コー・ソー(ส.ค.ส.)』1988年
- 『ブーメラン(บูมเมอแรง)』1990年
- 『プリック・キーヌー(พริกขี้หนู)』1991年
- 『ソン(ซน)』1993年 グラミー10周年記念アルバム*
- 『ワン・ニー・テー・ロー・コイ』1993年 ドラマ・サウンドトラック集(รวมเพลงประกอบละครชุด)*
- 『トー・トン(ธ.ธง)』1994年
- 『コン・ノック・ガップ・ドークマイ(ขนนกกับดอกไม้)フェザー・アンド・フラワーズ Feather and Flowers』1995年
- 『サウンドトラック・クーガム(เพลงประกอบภาพยนต์ "คู่กรรม")』1995年 映画メナムの残照サウンドトラック
- 『ドリーム(Dream ดรีม)』1996年
- 『キング・プーミポンズ・ゴールデン・ジュビリー(รวมเพลงจากงาน "รวมใจถวายชัย ธ ครองไทย 50 ปี")』1996年 プーミポン国王即位50周年記念*
- 『バード・アンリリースド(Bird Unreleased เบิร์ด อันรีลีสด์)』1997年
- 『シンギング・バード(Singing Bird ซิงกิ้งเบิร์ด)』1997年
- 『サウンドトラック・ニラミット(เพลงประกอบละคร "นิรมิต")』1997年
- 『トンチャイ・サービス Thonghai Service(ธงไชย เซอร์วิส)』1998年
- 『トリビュート・トゥ・レーワット・プティナン・コンサート(Tribute to Rewat Budhinan concert รวมเพลงจากคอนเสิร์ต จากเพื่อน พี่และน้อง แด่เรวัต พุทธินันท์)』1998年
- 『トンチャイ・スペシャル・サービス(Thongchai Special Service ธงไชย เซอร์วิส พิเศษ)』1999年
- 『ザ・パワー・オブ・ランド・コンサート(The Power of Land concert เพลงจากคอนเสิร์ตพลังแผ่นดิน)』1999年
- 『トゥー・プレーン・サーマン・プラヂャム・バーン(ตู้เพลงสามัญประจำบ้าน)』2000年
- 『サウンドトラック・ベープ・バード・バード・アロカ(เพลงประกอบแบบเบิร์ดเบิร์ด "อโรคา")』 2000年 ミュージカル・アロカのサウンドトラック
- 『100プレーン・ラック・マイ・ルー・チョブ:ベストソング・アルバム(100 เพลงรักไม่รู้จบ รวมบทเพลงรักยอดนิยมในอดีต)』 2000年
- 『ルワム・プレーン・ハイ・ガムラン・ヂャイ(รวมเพลงให้กำลังใจ)』(元気の出る曲集)2000年*
- 『タイムレス・ボックスセット・ボリューム 1(Timeless Vol.1)』2000年
- 『ラブ・ビート(Love Beat เลิฟบีท)』2001年
- 『スマイル・クラブ(Smile Club สไมล์คลับ)』2001年
- 『スマイル・ミックス(Smile Mix สไมล์มิกซ์)』2002年
- 『マザーズ・デイ・ソングス(Mother's Day Songs รวมเพลงให้แม่)』2002年*
- 『チュット・ラップ・ケーク(ชุดรับแขก)』2002年
- 『フェーン・ヂャー…サニット・ガン・レーオ・ヂャー(แฟนจ๋า...สนิทกันแล้วจ้า)』2003年
- 『サウンドトラック・ビューティフル・ボクサー(อัลบั้มเพลงประกอบภาพยนตร์ เรื่อง บิวตี้ฟูล บ๊อกเซอร์)』2003年*
- 『バード・セーク(เบิร์ด-เสก)』2004年 グラミー20周年記念 バードとセーク・ロソ(英:Sek Loso)
- 『バード 20 メモリーズ8Bird 20 Memories เบิร์ดทเวนตี้เมมโมรี่)』2004年 グラミー20周年記念
- 『ボリューム・ワン(Volume 1 วอลุม วัน)』2005年
- 『ライト・オブ・ラブ(The Light of Love แสงแห่งรัก)』2005年津波被害の救援コンサート*
- 『ビレッジ(Village วิลเลจ)』2006年
- 『プート・フロア(Perd Floor เปิดฟลอร์) Disco ディスコ』2006年
- 『プート・フロア(Perd Floor เปิดฟลอร์) Loog Thoong ルークトゥン』2006年
- 『プート・フロア(Perd Floor เปิดฟลอร์) Ballroom Cha Cha ボール・ルーム・チャチャ』2006年
- 『トゥン・プリック・トゥン・キン(ถึงพริก ถึงขิง)』2007年
- 『バン・トゥーン・ヂャイ(บันเทิงใจ)』2007年
- 『ソングス・ヒット・リトゥン・バイ・ニティポン・ホーナック(Songs Hit Written by Nitipong Hornak นิติพงษ์ ห่อนาค)』2007年
- 『シンプリー・バード(Simply Bird เบิร์ด ธงชัย ชุด)』2007年
- 『ポー・ソー 2501(Por Sor 2501 พ.ศ.2501)』2007年
- 『シンギング・バード (Singing Bird vol.1 and 2 ซิงกิ้งเบิร์ด)』2010年 カバー曲集
- 『アサー・サヌック(Asa Sanook) อาสาสนุก』2010年
- 『Feather and Flowers Secret Garden ขนนกกับดอกไม้ ตอนsecret garden』2013年GMMY30周年記念アルバム 2013年
- 『Love sceenes Love songs』2014年
- 『BIRD MINI MARATHON』2018年
- 『BIRD TWENTY-TWO 22~ Lifetime Soundtrack』2022年

受賞歴
- サイヤム・コンラカーン・コンテスト最優秀歌手(1983年)
- メカラ(Mekala) 最優秀歌手(1986年)
- 国立青少年事務所(ソー・ヨー・コー) 最優秀アーティスト(1987年)
- コーク・ミュージック・アウォーズ(Coke Music) 『コップチャイ・チンチン』にて人気歌謡曲(1989年)
- シー・サン賞(See-Sun) 最優秀歌手
- メカラ 『クーカム』(テレビドラマ)にて主演男優(1990年)
- TVゴールデン『クーカム』(テレビドラマ)にて主演男優(1990年)
- MTV アジア視聴者選出賞(1991年)
- TVゴールデン 『ワンネ・テー・ロウ・コイ』(テレビドラマ)主演男優(1993年)
- プラスラッサワデー(Prasurassavadee)『クーカム』(映画 邦題:メナムの残照)にて主演男優
- 投票賞(Vote)『クーカム』(映画 邦題:メナムの残照)にて人気男優
- ビルボード第一回アジア視聴者選出賞(1997年)
- シーサン賞『ラオ・スー・ガン・ファン(เล่าสู่กันฟัง)』で最優秀曲(2001年)
- トップ・アウォーズ 最優秀歌手(2001年)
- チャンネル5 ミュージック・ビデオ・アウォーズ 最優秀歌手(2001年)
- トップ・アウォーズ 最優秀歌手(2002年)
- MTV アジア・アウォーズ タイ人気アーティスト(2004年)
- MTVアジア・アウォーズ インスピレーション賞(2006年)
- チャンネル5 ミュージック・ビデオ・アウォーズ 最優秀曲(2006年)
- バージン・ヒッツ・アウォーズ(Virgin Hits) アチーブメント賞(2006年)
- トップ アウォーズ 最優秀人気歌手(2006年)
- ジード アウォーズ 最優秀人気男性歌手(2006年)
- インマガジン Forever Superstar 男性歌手(2007年)
- スターエンターテイメントアウォーズ 最優秀アーティスト(2007年)
- スアン ドゥシット プール・TV Pool 最優秀アーティスト(2007年)
- スターエンターテイメントアウォーズ 最優秀男性アーティスト(2008年)
脚注
- ^ a b “T-POP: No one can stop the wave of Thai pop”. Asia News Network (2024年6月6日). 2024年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月31日閲覧。
- ^ “เบิร์ด ธงไชยสุดภูมิใจขึ้นแท่นด็อกเตอร์พี่เบิร์ดขอบคุณทุกโอกาส”. Thairath (2021年5月13日). 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
- ^ “เบิร์ด ธงไชย เข้าพิธีรับพระราชทานปริญญา”. Matichon (2022年3月21日). 2022年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
- ^ “เบิร์ดนักร้องยอดนิยม เป็นระดับแนวหน้าของเอเชีย จากการจัดระดับโดยนิตยสารเอ็นเตอร์เทนเมนต์วีกลี่”. Sanook.com. 2024年10月31日閲覧。
- ^ “นิตยสาร Forbes ปี 2009, นิตยสารธุรกิจและการเงินของสหรัฐอเมริกา, จัดอันดับศิลปินที่มียอดขายสูงสุด เบิร์ดติดอันดับ 2 ของเอเชียตลอดกาล”. Suanboard.net. 2024年10月31日閲覧。
- ^ “แกรมมี่เผยรายชื่อ อัลบั้มยอดขายล้านตลับตลอด 33 ปี เบิร์ด ธงชัย จัดไป 9 อัลบั้ม”. bugaboo.tv (2017年4月10日). 2017年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月31日閲覧。
- ^ “8 ธันวาคม 2501 วันเกิด เบิร์ด-ธงไชย ไอดอลที่เชื่อมทุก Gen กับยอดขายทะลุล้านตลับมากที่สุดในประเทศ”. Springnews (2021年12月8日). 2024年10月31日閲覧。
- ^ “ย้อนรอยล้านตลับแตกอัลบั้มเพลงป็อบศิลปินแกรมมี่ในยุค "เทปคาสเซ็ท"”. Atime (2022年4月13日). 2024年10月31日閲覧。
- ^ “ตำนานคู่ขวัญสะเทือนเรตติ้ง 'โกโบริเบิร์ด-อังศุมาลินกวาง'”. Kom Chad Luek (2018年5月8日). 2021年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月31日閲覧。
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- ^ “7+1 อัลบั้มสุดฮิต “พี่เบิร์ด-ธงไชย แมคอินไตย์” ฟันยอดขายเกิน 1 ล้านชุด”. Manager Online (2019年10月5日). 2022年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月31日閲覧。
- ^ “รวมศิลปินชาย ผู้ทุบสถิติยอดขาย "ล้านตลับ" อย่างยิ่งใหญ่”. Sanook.com (2016年10月31日). 2024年10月31日閲覧。
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- ^ ルークトゥン・タイランド:アルバム紹介『バード・トンチャイ』
- ^ Asiaweek 1998年1月9日(英文)
- ^ a b “10 ความสำเร็จ “เบิร์ด ธงไชย” ที่ผู้คนยกย่องให้เป็นซูเปอร์สตาร์”. Sanook.com (2016年10月25日). 2024年12月24日閲覧。
- ^ a b “ย้อนรอยความสำเร็จของ “พี่เบิร์ด” ซุปตาร์อันดับ 1 ของไทย ที่ใคร ๆ ก็หลงรัก”. Bangkok Biz News (2022年8月2日). 2024年12月24日閲覧。
- ^ “7+1 อัลบั้มสุดฮิต “พี่เบิร์ด-ธงไชย แมคอินไตย์” ฟันยอดขายเกิน 1 ล้านชุด”. MgrOnline (2019年10月5日). 2022年3月13日閲覧。
- ^ “เบิร์ด ธงไชย ศิลปินไทยเพียงหนึ่งเดียว ที่ติดอันดับนักร้องยอดนิยมในเอเชีย”. Sanook.com (2010年11月12日). 2010年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月2日閲覧。
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- ^ "ที่สุดในความทรงจำ ที่สุด..ของแกรมมี่ : ที่สุดแห่งยุค 80s 90s 2000s". GMM Superstar. 2018-01-06.
- ^ “อภิมหาดารา ‘ธงไชย แมคอินไตย์’ ชีพจรเพลง-พลังอมตะเอนเตอร์เทนเนอร์”. Workpoint Today (2022年2月28日). 2022年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月11日閲覧。
関連項目
- モーラム
- ルークトゥン
参考サイト
固有名詞の分類
- トンチャイメーキンタイのページへのリンク