トルコ革命以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 07:26 UTC 版)
「トルコ語アルファベット」の記事における「トルコ革命以前」の解説
現在のトルコ語アルファベット以前に使われていたアラビア文字とその用法には以下のような問題があった。 8つの母音を持つトルコ語に対して、3つの母音文字しか持たない。 アラビア語やペルシア語からの借用語以外には用いられない、トルコ語には存在しない発音の子音がある。 短母音を記さず、また正書法がないため曖昧かつ難解である。 これらの問題から文字を改革しようという議論が始まったのはタンジマート期の1850年代であった。同時期の議論の中では主に識字率の向上を図るためとして文字改革をすることが主張され、アラビア文字にトルコ語の母音を表す文字を足すという提案などがされた。1913年には、アラビア文字の尾字形のみを用い、ا、ي、وの3文字の変化型を子音に続けることで母音を表すという試みがエンヴェル・パシャによって行われたが、失敗に終わっている。 旧来のアラビア文字を捨て新たにラテン文字を採用するべきという意見は1860年ごろからあり、アラビア文字の改良案と並行して議論が進められた。オスマン帝国の支配下でアラビア文字を採用し、トルコ語と同様の問題を抱えていたアルバニア語について、ラテン文字が1910年に復活されると、トルコ語でも同様にラテン文字を採用するべきという意見が出てくる。ソビエト連邦内のトルコ語話者がラテン文字を使うことが1926年に決定されると、汎トルコ主義者からもラテン文字の導入が叫ばれるようになった。当時にはトルコ語知識層の間で最も知られていた西欧言語であったフランス語の表記法をもとにした文字と綴りによってラテン文字化することが当然と思われていたが、47文字を必要とし記述も長くなるという問題があった。
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