トリノオリンピック・アメリカペア代表出場で7位入賞
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「井上怜奈」の記事における「トリノオリンピック・アメリカペア代表出場で7位入賞」の解説
井上は2005年9月28日にアメリカ合衆国の市民権を獲得し、日本国籍を離脱してアメリカ国籍となった。井上はこのとき、「できれば日本国籍でトリノオリンピックに参加したかったんですが、日本はペアのレベルが低く、選手層が薄いため、オリンピック出場の夢を叶えるためにアメリカ人になる決心をしました。オリンピックのアメリカ代表になれたらとても誇らしいです。ペアは申雪と趙宏博の中国ペアが強いですけど、アメリカ代表としてトリノに行きたいと思っています。」とコメントしている。 2005-2006シーズン、井上は現地にてボルドウィンと恋人同士となるが、そのペアで、全米選手権、2006年四大陸選手権で優勝を果たし、トリノオリンピックへはアメリカ代表として選出され自身3回目のオリンピック出場となった。 トリノオリンピック本番のショートプログラムでは、ペア競技でオリンピック史上初となるスロートリプルアクセルの着氷を成功させ、6位スタートとなる。メダルへの期待がかかったフリースケーティングでは、スロートリプルアクセルに再挑戦するも着氷失敗が響いて、総合で7位入賞に留まった。だが、メダリストや上位選手が出場するエキシビションには3回転半ジャンプを成功させたことと上位入賞者が次々出場辞退したことも有り、7位ながらも特別参加となった。トリノオリンピックから1か月後の2006年世界選手権では4位に入賞している。同10月GPシリーズスケートアメリカで優勝を果たした。 2007年世界選手権で一旦アマチュア引退を発表したが、その後引退を撤回し現役続行を宣言する。2008年全米選手権で復帰を果たし2位となった。このときフリースケーティングの演技終了後には氷上でパートナーのボルドウィンからプロポーズを受け、「氷上のプロポーズ」 として大きな話題となった。なお、井上の返事は(Yes)であった。 2009-2010シーズン、バンクーバーオリンピックでの引退を表明し先シーズンは回避することが多かったスロートリプルアクセルとトリプルツイストを全試合で飛んだ。バンクーバーオリンピック代表入りをかけた2010年全米選手権では、スロートリプルアクセルの失敗等がひびき、ショートプログラム4位と出遅れた。フリースケーティングではスロートリプルアクセルを見事に成功させフリー2位となるも総合点でわずか0.60点2位に及ばず3位となり、バンクーバーオリンピックの代表を逃したことから競技での引退を表明した。 井上は大会終了後、「自分が望んでいた通りの演技ができました。最高でした。これ以上、望むことはないです。こういうかたちで終わることができて、自分は幸せ者です。小さい子供にスケートを教えるのが夢でした。しばらくゆっくりして次のスタートを切りたいと思います。」とコメントした。 2011年10月31日、女児を出産した。2015年8月現在、第2子となる女児を妊娠中である。
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