トム・スウィフト端末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 12:29 UTC 版)
「Sol-20」の記事における「トム・スウィフト端末」の解説
リー・フェルゼンスタインは、世界初の公開電子掲示板システムであるコミュニティメモリの運営者の一人であった。コミュニティメモリは1973年に開設され、カリフォルニア州バークレーのレコード店に設置されたテレタイプ端末・ASR-33(プリンタとキーボード)を介してメインフレーム・SDS 940にアクセスすることで稼働していた。システムを実行するためのコストは、手に負えないものだった。テレタイプ端末は通常1台1,500ドルもし(最初の1台はジャンク品として寄付されたものだった)、さらにモデムに300ドルかかり、SDSのタイムシェアリングの使用時間は高価だった。1968年にはTymshare社は1時間あたり13ドルを請求した。端末から出力するための紙の束さえ、実用にはあまりにも高価で、システムは常に詰まっていた。これは、端末を画面表示式のHazeltine 1500(英語版)に置き換えることで解消されたが、今度は一定の修理が必要となった。 1973年以来、フェルゼンスタインはコストを下げる方法を模索していた。彼がコンピュータ分野で最初に設計したものの1つがペニーホイッスルモデム(英語版)である。これは、300bpsの音響カプラで、市販モデルの1/3のコストだった。『ポピュラーエレクトロニクス』1973年9月の表紙に掲載されたドン・ランカスター(英語版)のTVタイプライターを見た彼は、その回路設計を基礎として、トム・スウィフト端末(Tom Swift Terminal)と呼ばれる端末を設計した。この端末は、簡単に修理できることを意図して設計されていた。これをペニーホイッスルモデルと組み合わせることで、コミュニティメモリにアクセスするためのコストパフォーマンスを上げることが可能になった。 1975年1月、フェルゼンスタインはボブ・マーシュがコミュニティメモリに投稿した「(作業場所としての)ガレージを共有したい人はいないか」という投稿を目にした。マーシュは木製のデジタル時計を設計しており、それを作るためのスペースを必要としていた。フェルゼンスタインは以前にマーシュと学校で知り合っており、バークレーの家賃175ドルのガレージを共同で使用することに合意した。その後まもなく、コミュニティメモリは、主要な資金源だったProject Oneとの関係や、創設メンバーが継続する意思を失ったことで、最終的に閉鎖された。
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