トウショウボーイとの対戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:15 UTC 版)
「テンポイント」の記事における「トウショウボーイとの対戦」の解説
テンポイントはトウショウボーイと6回にわたって対戦し、両馬は競馬ファンおよび競馬関係者によって互いの好敵手であると見なされた。テンポイントの関係者はトウショウボーイのデビュー戦を見てすでにその能力の高さを認識していた。テンポイントはトウショウボーイとの対戦成績が悪く(通算6回の対戦で2勝4敗)、最後の対戦となった第22回有馬記念までトウショウボーイが出走したレースで1着になったことがなかった。小川と主戦騎手の鹿戸はトウショウボーイを負かすことを強く意識し、前述のように第18回宝塚記念で敗れた後は調教時に鞍に5kgの鉛をつけ、それまでよりも強い負荷のかかる方法で鍛錬を行い、テンポイントを筋骨隆々の馬体に仕上げた。一方、トウショウボーイの管理調教師であった保田隆芳も、引退が決まったトウショウボーイにテンポイントを負かして花道を飾らせたいと第22回有馬記念出走を決定した。保田は、菊花賞でテンポイントに風格が備わったのを感じて以来テンポイントに対し「敵はこれだな」という「本当のライバル意識」を持つようになり、2回目の有馬記念では相手にテンポイントしか浮かばなくなっていたと振り返っている。 騎手の起用について2頭の陣営は対照的であった。トウショウボーイ陣営が4歳時に東京優駿・札幌記念と連敗した後、それまで同馬に騎乗していた池上昌弘を降板させてトップジョッキーの福永洋一や武邦彦を起用したのに対し、テンポイント陣営はテンポイントが敗戦を繰り返した時期にも鹿戸明を降板させることはなく、鹿戸は骨折で騎乗できなかった東京優駿以外のすべてのレースで騎乗した。鹿戸はテンポイントの主戦騎手を勤めたおかげで名前が売れてジョッキーとして一人前になったとし、「僕をずっと乗せてくれた小川先生と高田オーナーには頭が上がりませんね」と述べている。 トウショウボーイは第22回有馬記念を最後に競走馬を引退して種牡馬となり、史上3頭目のクラシック三冠馬ミスターシービーをはじめとする重賞勝利産駒を多数輩出し、1992年にテンポイントと同じ蹄葉炎により死亡した。
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