デーニッツ政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 01:22 UTC 版)
「アルフレート・ヨードル」の記事における「デーニッツ政権」の解説
5月6日にフレンスブルク政府のデーニッツ大統領の命令でランスへ赴き、連合国軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー米元帥と降伏交渉にあたった。デーニッツは一人でも多くのドイツ兵を野蛮なソ連軍ではなく、アメリカ軍かイギリス軍の捕虜になれるようにしようと決意しており、そのために可能な限り降伏交渉の時間を引き延ばせとヨードルに命じていた。 しかしアイゼンハワーの態度は冷たかった。彼はヨードルとの交渉に自ら出て来てはくれず、副官を交渉にあたらせた。ヨードルのグズグズした交渉にいらいらしたアイゼンハワーは副官を通じてすぐさま降伏文書に調印しないならば、西部戦線を閉鎖すると通告してきた。ヨードルは引き延ばしもこれまでと判断し、5月7日午前2時38分に降伏文書に署名を行った。同降伏文書は48時間後に発効することとなった。調印にあたってヨードルは失意と屈辱の涙を流している。6年間に及んだヨーロッパでの第二次世界大戦はここに終結した。 5月10日にデーニッツより柏葉付騎士鉄十字章を授与される。13日にはヴィルヘルム・カイテルが連合軍に逮捕されたため、国防軍最高司令部総長を引き継ぐ。 23日には連合国によりフレンスブルク政府が解体され、デーニッツ、アルベルト・シュペーア、ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク伯爵らと共に連合軍に「戦争犯罪者」として逮捕された。ヨードルはこの逮捕にかなり動揺し、デーニッツに「先ほどの戦争犯罪の話をどう思われます?私たちはアイゼンハワーやモントゴメリー、ジューコフと同じように軍人としての務めを果たしただけではないのですか?」とたずねている。 ヨードルらはルクセンブルクのバート・モンドルフ(de)のパレス・ホテルに設けられた収容所へ送られた。ここはナチスの最大の大物と見なされた捕虜が収容されていた場所で、ヘルマン・ゲーリング、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ、ヴィルヘルム・カイテル、フランツ・フォン・パーペン、ヒャルマル・シャハト、アルフレート・ローゼンベルク、ユリウス・シュトライヒャーなど、のちにニュルンベルク裁判にかけられることになる者たちが収容されていた。 1945年8月にニュルンベルク裁判にかけるために他の被告たちとともにバート・モンドルフからニュルンベルクへ移送された。移送中にバート・モンドルフの収容所の所長で引き続きニュルンベルク刑務所で所長を務めるアメリカ軍大佐バートン・アンドラス(en:Burton C. Andrus)によってカイテルとヨードルは起立させられ、「お前たちはもはや軍人ではない。犯罪者だ。」と宣告されて階級章をはぎ取られた。
※この「デーニッツ政権」の解説は、「アルフレート・ヨードル」の解説の一部です。
「デーニッツ政権」を含む「アルフレート・ヨードル」の記事については、「アルフレート・ヨードル」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からデーニッツ政権を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- デーニッツ政権のページへのリンク