デニー・マクレイン事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:08 UTC 版)
「1970年のメジャーリーグベースボール」の記事における「デニー・マクレイン事件」の解説
年明け早々の1月2日に、司法省、財務省及びFBIで組織された特別捜査班はデトロイト、フェニックス、ラスベガスなどで野球・フットボール・バスケットボール・アイスホッケー・競馬などを対象としたスポーツ賭博団を摘発し、その中で元カージナルス投手のディジー・ディーンを取り調べた。ボウイ・キューンコミッショナーは2月10日に元FBI捜査官をコミッショナー直属の調査官に採用してタイガースのエースのデニー・マクレイン投手の調査を始めた。連邦レベルの特別捜査班はディジー・ディーンもデニー・マクレインも証拠が見つからなかったと発表したが、コミッショナーは1967年の賭博行為に関わった疑いがあるとしてマクレインに無期限出場停止の処分を下した。そして4月1日に1967年1月に賭博行為に関してマクレインは被害者であると発表して6月30日までの出場停止処分を科した。この処分についてブラックソックス事件以降もマイナーリーグで賭博に関わった選手を永久追放処分にしたこともあって、当時すでに引退していた元ドジャースのサンディ・コーファックスは「有罪であれ無罪であれ野球選手は例え話の中でも賭博に触れてはならない」として中途半端であると批判した(ブラックソックス事件の選手たちは裁判で無罪判決を受けた直後に永久追放処分を受けた)。デニー・マクレイン投手は7月1日からマウンドに復帰したが球威が戻らず3勝5敗の成績で、新聞記者にバケツの水を浴びせ、9月9日にコミッショナー事務局へ出頭を命じられてピストル不法所持の疑いでシーズン末までの出場停止処分を受けた。1968年に31勝、1969年に24勝を上げて2年連続最多勝で通算117勝の26歳の若きエースは、翌1971年にセネタースに年俸10万ドルで移籍した。しかしこれ以降わずか14勝しか上げていない。
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