テンシュテット時代とは? わかりやすく解説

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テンシュテット時代(1983年 - 1987年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:00 UTC 版)

ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の記事における「テンシュテット時代(1983年 - 1987年)」の解説

東ドイツから西ドイツ亡命しキール本拠活動始めたばかりだった指揮者クラウス・テンシュテットロンドン・フィルマーラー交響曲第1番録音したのは1977年のことだった。 EMIから発売されたこの録音聴いたカラヤンがその演奏激賞しベルリン・フィルハーモニー管弦楽団指揮台招いたというエピソードがあるが、テンシュテット能力才能驚いたのはロンドン・フィル同じだった。彼らの距離は次第に縮まり、1983年には首席指揮者招かれるそれまで楽団伝統にはなかったマーラー音楽という新風吹き込み次々スタジオ録音が行われ、『大地の歌』を含む交響曲全集オーケストラ伴奏つき歌曲録音され次々発売された。マーラー音楽を完全に理解したテンシュテット解釈ロンドン・フィルのもとで徹底され比類のない完成度となったこのマーラー全集は、日本でも評判になり、改めてこのコンビ蜜月ぶりを内外示したベートーヴェンの交響曲第3番英雄』、第6番田園』、ブラームス交響曲第1番ワーグナー管弦楽曲集、リヒャルト・シュトラウスの交響詩などが録音されたが、そのいずれも高い完成度誇っている。 1985年アメリカ演奏旅行中だったテンシュテットは、身体の不調訴え精密検査受けたところ、喉頭がんかかっていることがわかり、治療続けるが、1987年体調不良のため首席指揮者の任を降りることを発表する楽団テンシュテットに「桂冠指揮者」のポスト贈り、労に報いたテンシュテットその後闘病生活続け体調良いときにはロンドン・フィルベルリン・フィルにも客演した。1988年の日本公演では来日して指揮できるかが危ぶまれたが、無事指揮台に立ち、マーラー、そしてワーグナー素晴らし演奏日本の音楽ファンに聴かせた。 1993年マーラー交響曲第7番夜の歌』を指揮したのを最後にテンシュテットロンドン・フィル指揮台に立つことはなかった。1998年テンシュテット亡くなるまで、ファン楽団員テンシュテットロンドン・フィル指揮台帰ってくることを望んでいたが、その願いはかなわなかった。

※この「テンシュテット時代(1983年 - 1987年)」の解説は、「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の解説の一部です。
「テンシュテット時代(1983年 - 1987年)」を含む「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の記事については、「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の概要を参照ください。

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