チンギス・カンにまつわる伝説とは? わかりやすく解説

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チンギス・カンにまつわる伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/09 06:54 UTC 版)

ブルカン・カルドゥン」の記事における「チンギス・カンにまつわる伝説」の解説

元朝秘史冒頭伝説によると、チンギス・カン先祖モンゴル族遠祖であるボルテ・チノとその妻コアイ・マラル大湖(tenggis)を渡ってやって来た時、オノン川の源のこのブルカン・カルドゥン住まいし、そこで最初の子であるバタチカンが生まれたという。また、のちのチンギス・カンことテムジン少年時代に父イェスゲイ亡くした時、テムジン一家身を寄せて住まいしていたのがブルカン・カルドゥンの麓だったと言う当時対立していたメルキト族の兵たちに追われた折に、テムジンブルカン山中を方々逃げて追手くらまし、ついに逃げおおせてこれに感謝したテムジンは「朝ごと祭り日ごとに祈」るように誓ったと言う。これらのことからチンギス・カン一族はこの山麓起居する氏族だったと思われるラシードゥッディーンの『集史』によると、ブルカン・カルドゥンとはモンゴルの地にある大きな山であり、そこから多く河川流れ出て数え切れない木々覆われたくさんの茂みになっていると言う。またチンギス・カン死後自分自身とその一族埋葬地としてこのブルカン・カルドゥン定めたと言う(『元史』によると、チンギス・カン起輦谷葬られ以後ボルテトルイなどのチンギス近親オゴデイから元朝末期までの歴代モンゴル皇帝チンギス墓所隣り合って埋葬されたと記録するが、その遺体は現在も特定されていない)。 1992年一帯12,000 km2がヘンティー・ハーン厳正保護区指定された。

※この「チンギス・カンにまつわる伝説」の解説は、「ブルカン・カルドゥン」の解説の一部です。
「チンギス・カンにまつわる伝説」を含む「ブルカン・カルドゥン」の記事については、「ブルカン・カルドゥン」の概要を参照ください。

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