チンギス・カンのモンゴル統一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:52 UTC 版)
「モンゴルの歴史」の記事における「チンギス・カンのモンゴル統一」の解説
チンギス・カンは初め、テムジンといい、モンゴル部の中心氏族ボルジギン氏に属するキヤト氏の傍系に生まれた。1195年、テムジンは兵を集めて金軍によって追われたタタル部(タタル系の一部族)を攻め、その部族長を殺した功により、金朝皇帝から「ジャウト・フリ」の官職を授かる。1196年、ケレイト部族長オン・カンと同盟し、周辺のメルキト部、ナイマン部、タタル部とチンギス・カンの同族であるタイチウト氏などと抗争を繰り返した。1203年、同盟者であるオン・カンの襲撃に遭ったが、反撃してケレイト部を滅ぼし、自軍に組み入れ、1204年にはナイマン部、メルキト部、タタル部を壊滅させ、モンゴル高原を統一した。1206年、テムジンは支配部族・氏族の代表者を召集して、オノン川の水源地にて大会議(クリルタイ)を開催し、全遊牧民族の支持を得て「チンギス・カン」の称号を授かった。
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