ダンス・ステージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:15 UTC 版)
インタビューにおいて、折に触れて「ダンスをすること、ステージに立つことが大好き。この思いは、子どものときからずっと変わらない」「いつか『斉藤朱夏』個人としてステージに立つことが目標。ステージに立って、一人でも多くの人間にいろいろな感情を、感謝の気持ちを伝えたいこと、それが自分がずっとやっていきたいこと」と述べている。 前述のように、小学4年生から高校3年生までヒップホップダンスを続けていた。インタビューにおいて、折に触れて「ダンスをずっと続けてきたことが、自分の活動に活きている」「ダンスは自分にとって『生きる原動力』。食べることも、寝る時間もこだわりはない、それよりもダンスをしている時間が楽しい」と述べている。ダンスの練習は、1日の中で毎日欠かさずに(自宅での練習を含めて)ダンスをする時間をつくるように心掛けていたとのことであり、「ダンスの存在は自分の中ではとても大きかった」という。また、ダンスを通して「苦しくても必死にやれば乗り越えられる」ことを学んだとも述べている。なお、ダンスは母の勧めで始めたとのことだが、母からは「チアダンスとヒップホップダンス、どっちがいい?」と聞かれて、ヒップホップダンスの体験レッスンに参加した。 ダンスを続ける過程で転機になったこととして、中学生のときの「前年では受かった、あるダンスのオーディションに落ちたこと」の経験を挙げている。当時はこのことが「人生で最も悔しかった」とのことであり、とにかく自分に腹が立って、いままで以上に練習量を増やしたし、自分がなぜ落ちたのかを細かく分析したという。これが実って別のダンスのオーディションに受かったが、この一連の経験を通して、「自分は才能に恵まれた人間ではない、地道に努力を積み重ねることが大切」ということに気付けたことが、自身に大きな影響を与えたという。2018年春のインタビューで「あのときのダンスのオーディションに落ちていなかったら、いまの自分はいないと強く思っている」と述べている。 また、小学5年生のときにダンスを辞めようと悩んだ時期が1年ほど続いたとのことだが、母が自分の悩みに気付きながらも、何も言わずに見守ってくれたことで乗り越えることができた経験から、「頑張ったら何かができる」ことを学び、もともとあった「負けず嫌い」の性格がより強くなったことも、人生の転機の一つとして挙げている。 ダンスの魅力について、「どんな感情も身体だけで表現できる。夢中になれて、我を忘れることができる」「1つの身体でいろいろな表現方法ができて、演技にも活かせて、違った自分になれる」と述べている。 また、ステージについても、「ステージに立っているときが、自分が最も輝いているとき」「物欲よりもステージ。ファンの前でステージでパフォーマンスできること自体が、自分へのご褒美」「No Stage,No Life」と述べている。ステージに臨む際は「自分が最も輝ける場所だからこそ、思う存分の感謝をこの瞬間に込めて、『みんなに届け』と思ってパフォーマンスをしている」と述べている。2018年のインタビューで「『斉藤朱夏』個人として、大きなステージに立つことが目標」と述べていたが、2019年8月に、ソロ歌手としてのメジャーデビューを叶えることになった。 なお、2017年2月に横浜アリーナで開催されたAqoursの1stライブでの「夜空は何でも知ってるの」で、斉藤のソロでのダンスパートが披露されている。また、ナレーターとしての初担当番組は、自身のダンス経験を活かせる「ハロプロダンス学園」であった。
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