ダイムラーからフォルクスワーゲン傘下に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 18:43 UTC 版)
「アウトウニオン」の記事における「ダイムラーからフォルクスワーゲン傘下に」の解説
このころから再びオペル、ドイツフォードといった米国資本の企業が再びドイツ国内シェアを侵食し始め、これに危機感を覚えたダイムラー・ベンツは1958年にアウトウニオンの株式の88%を取得し、翌年には吸収合併されて2輪部門が売却され、アウトウニオンは4輪自動車専門メーカーとなった。この間に1960年にアウトウニオン/DKW車が50万台を達成する。 1964年、フォルクスワーゲンがまずダイムラーベンツの持ち株の50%を取得し、翌年フォルクスワーゲンAGがアウトウニオンGmbHの所有者となった。VWは主力車「ビートル」の生産がヴォルフスブルク工場だけでは需要に対応できないため、アウトウニオンのインゴルシュタット工場に委託してビートル増産を図った。その結果、1965年5月から1969年7月にかけて、インゴルシュタットだけで実に35万台近くもビートルが生産されることとなる。 同時期、アウトウニオンがDKW以来の得意技術としてきた2ストロークエンジンは、環境対応能力や高性能化の限界から4ストロークエンジンに太刀打ちできなくなり、4ストロークへの切り替えが必至となってきた。そこで技術的一新とともにイメージチェンジを図り、往年のブランドである「アウディ」をリバイバルさせることになった。
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