ダイクン暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 15:41 UTC 版)
しかし、0067年にジオン・ダイクンが提出したコロニー自治権整備法案を連邦政府が廃案としたため、ダイクンの政治的決着は挫折を余儀なくされてしまう。 これにより、あくまで政治的決着を模索するダイクン派とその側近であったデギン・ソド・ザビとの確執が表面化する。議会内部もダイクン派とザビ派に別れて対立していく。双方は互いに流血のテロを日常的に繰りかえすようになった。 その最中の0068年、ダイクンが議会の演説中に心臓発作で急死する。一説にはザビ家の謀殺説も浮上しているが真相は不明である。後継人としてデギンが首相に選ばれた。この後、デギン・ザビの次男サスロ・ザビがテロによって死亡、ドズル・ザビが負傷するという事件が起こり、ザビ派によってダイクン派のテロであると報じられた。 ダイクン派は窮地に追い込まれ、ザビ派に鞍替えする者や、国外に脱出する者が相次いだ。ダイクン派の領袖であるジンバ・ラルは徹底抗戦の構えをみせたが、ダイクンの二人の遺児と共に地球へ亡命し、二人を知人であるテアボロ・マスの養子とした。二人の名はキャスバル・レム・ダイクン(後のシャア・アズナブル)とアルテイシア・ソム・ダイクン(同セイラ・マス)である。
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