ダイアナとの結婚
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「チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ)」の記事における「ダイアナとの結婚」の解説
1981年2月6日にチャールズがウィンザー城でダイアナに求婚した。チャールズは「スキー旅行に出てる間、どんなに貴女に会いたかったことか」と述べたうえで「私と結婚してほしい」と簡潔に求婚したが、ダイアナは「冗談だと思って笑っていた」という。チャールズは真剣な求婚であることを強調し、「貴女はいつの日か王妃となるのだ」と述べたという。ダイアナはこのプロポーズを受け入れた。 チャールズの決定により王太子の結婚式は1981年7月29日にセント・ポール大聖堂で挙行されることになった。祝典は実質的に結婚式前夜の7月23日夜から始まっていた。ハイド・パークでは1万2000発の花火が打ち上げられ、国中がお祭り騒ぎになった。イギリスがこれほど全国民あげての祝賀ムードに包まれたのは1953年のエリザベス2世戴冠式以来のことであったという。 セント・ポール大聖堂には世界中の王族や元首などが集合していた。日本の皇室からは皇太子明仁親王と美智子皇太子妃(いずれも当時)が、アメリカからはファーストレディ(大統領夫人)のナンシー・レーガンが出席していた。この結婚式の模様はテレビ中継され、全世界70か国7億5000万人もの人々が視聴し見守っていた。日本ではNHKが午後5時35分から午後6時40分まで放送。 新婚旅行は王室専用ヨット「ブリタニア号」での地中海とエーゲ海のクルージングだった。マスコミに追いまわされないよう王立海軍の協力を得て極秘裏に行われた。マスコミはギリシャに飛んで王太子夫妻を探し回ったが、ついに発見できなかった。
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