タプスス会戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:43 UTC 版)
タプススの南西には潟が広がっており、タプススへ向かうには潟の北及び東にある細長い陸地を進む必要があった。北ルートにラビエヌス隊を併せたメテッルス・スキピオの本軍、東ルートにユバ1世が率いるヌミディア軍を配し、タプスス前に陣を張るカエサル軍を挟撃する体制をとったが、カエサル軍への内応を約していたマウレタニアがヌミディア本国を襲った為にユバ1世は軍の半分をマウレタニア軍へ迎撃に割かざるを得なかった。それに伴いヌミディア軍の到着が遅れた為、カエサル軍はメテッルス・スキピオ軍へ向かい進軍した。 メテッルス・スキピオは戦象及び騎兵を左右の両翼、歩兵部隊を中央に配した一方、カエサルは騎兵を中央、歩兵部隊を両翼に配する陣を引き、左右両翼の元老院派戦象部隊へは、第5軍団を充てた。 紀元前46年4月6日、カエサル軍の進軍ラッパ(第10軍団兵士によるものとされる)によって戦いは開始され、第5軍団はカエサルの指示により突進する戦象の足を斧で狙い、足をなぎ払われた戦象はあえなく無力化した(なお、西洋での大規模な戦象の使用はこの戦いが最後となった)。元老院派歩兵部隊は第10軍団を始めとしたカエサル軍に抑えられ、ラビエヌス指揮下の騎兵部隊もカエサル軍騎兵部隊や歩兵部隊の包囲によって壊走、メテッルス・スキピオ以下の首脳陣は戦場から逃れた。 カエサル軍はメテッルス・スキピオ軍を撃破するや、潟の南に陣を置いていたヌミディア軍を攻撃したが、若干の交戦があったのみでユバ1世は見切りをつけてやはり戦場から脱した。
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