タイ王国から小田原へとは? わかりやすく解説

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タイ王国から小田原へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 23:10 UTC 版)

ウメ子」の記事における「タイ王国から小田原へ」の解説

戦後復興最中だった1950年昭和25年)、市制施行され10周年となる小田原市が「小田原こども文化博覧会」を開催した際に、タイ王国から呼んだ当時年齢推定3歳で、横浜港から上陸上野動物園にしばらく滞在(このとき、井の頭自然文化園ゾウはな子と生活を共にした)し、小田原9月29日25日説もある)到着歓迎式典営まれた。博覧会ウメ子人気もあり、50日で10数万人を呼ぶ盛況だった。また、飼育のため、上野動物園中島与平一緒に来園した。当時は「梅子」とも表記された(2000年代入ってからの新聞記事でも「梅子」とする表記多数見られる)。ちなみにウメ子はな子は同い歳であったが、2007年平成19年)までは「ウメ子のほうが年上」説と「はな子のほうが年上」説の両方があった。しかし両園が協議した結果1949年昭和24年)に推定2歳来日したはな子1950年昭和25年)に3歳来日したウメ子は同い歳という結論になった。この経緯もあり、各種資料ではウメ子のほうがはな子より年上となっている表記垣間見られる。 当時鈴木十郎小田原市長が人気見て恒久的に飼育することを決定、同市が購入小田原城飼い続けられることになったという。 来日時大きさ体長約1.2m、体重約450kg。2007年平成19年)には鼻や尾を除き体長3m体重3t成長していた。また、1日60kgほどのエサ食べていた。当時さまざまな芸当披露していた。

※この「タイ王国から小田原へ」の解説は、「ウメ子」の解説の一部です。
「タイ王国から小田原へ」を含む「ウメ子」の記事については、「ウメ子」の概要を参照ください。

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