ソ連のDC-3生産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:18 UTC 版)
「ダグラス DC-3」の記事における「ソ連のDC-3生産」の解説
ソビエト連邦(ソ連)は第二次世界大戦中、連合国としての同盟国のアメリカからレンドリース法によって700機のC-47を供与され、軍用輸送機としての大きな成果を上げた。その実績によってDC-3の製造ライセンスが取得されることになる。 ダグラス社に派遣された経験もあった技術者ボリース・リスノーフは、DC-3をもとに、ソ連の寒冷地・不整地向けに小改良を加え、ソ連製エンジンを搭載した輸送機「PS-84」を開発する。この機体はアエロフロート航空で運航された後、1942年以降にLi-2の名称で軍用輸送機として量産され、対ドイツ戦で用いられた。簡易な爆撃機(爆弾を1 tまで搭載)としての運用も行われた。 1945年までに約2,000機が製造され、戦後はソ連やポーランド、中華人民共和国などの東側諸国で旅客機や貨物機として活用された。なお、ソ連も日本同様にメートル法を採用していたためDC-3の国産化に際して設計図のメートル換算を強いられており、PS-84/Li-2シリーズの部品寸法はアメリカ製DC-3と差異がある(換算を一律切り上げにしたため、原型となったDC-3よりも自重が大きくなったという)。
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