ソマリア暫定国民政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 01:52 UTC 版)
「ハッサン・アブシル・ファラ」の記事における「ソマリア暫定国民政府」の解説
2000年のアルタ会議に出席し、議長を務める。アルタ会議を機会にソマリア暫定国民政府が成立する。ただし暫定国民政府は多くの軍閥の協力を得られず、実質に乏しいものとなった。それどころか有力軍閥のいくつかが結託して、暫定国民政府に対抗して2001年3月にソマリア和解再生評議会(英語版)と呼ばれる団体を設立した。1998年に独立宣言したプントランドもまた、暫定国民政府に非協力的だった。 2001年11月12日、ハッサンは大統領のアブディカシム・サラ・ハッサンからソマリア首相に任命された。前首相は議会から不信任案を決議されており、副首相が首相代理を務めてから2週間後のことだった。ハッサンが選ばれたのは、プントランドに独立宣言を撤回してソマリアに再編入させるのに、プントランドと縁が深いハッサンに期待したからともいわれる。 2002年2月1日の夜、首相の家に手榴弾が投げ込まれ、ハッサンにけがはなかったが、4名が負傷し2人が重傷を負った。 2002年10月、ケニアのエルドレットでソマリア和解会議が開催され、ハッサンも出席した。この会議が元となり、後に暫定国民政府は廃止され、暫定連邦政府に生まれ変わることとなった。ただし暫定国民政府大統領のアブディカシム・サラ・ハッサンはこの動きに不満だった。 2003年12月8日、アブディカシム大統領は首相のハッサンと議会議長のアブダラー・イサック・デーロウ(英語版)を解任し、新首相にムハマド・アブディ・ユスフを、新議長にムスタファ・グドウを選出した。 翌12月9日にケニアのナイロビで行われた和平会議が開かれ、大統領のアブディカシム・サラ・ハッサンに加えて、暫定国民政府の代表としてハッサン「首相」とデーロウ「議長」も参加した。その会議の決議として、ハッサン首相とデーロウ議長の名で、アブディカシム大統領による首相と議長の解任は2000年のアルタ会議の合意に反するとして無効が宣言された。そのため、この日以降、翌年12月に「暫定連邦政府」が成立するまで、ソマリア首相が誰であるかは曖昧である。
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