セーヌ川まで南進とは? わかりやすく解説

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セーヌ川まで南進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)

エルヴィン・ロンメル」の記事における「セーヌ川まで南進」の解説

6月5日朝に敵が爆破し損ねた渡ってソンム川渡河した。川の渡河妨害する砲兵隊陣地慎重に落としていき、同地配備されていた大量フランス植民地兵を捕虜にした。 ソンム川突破した後、ロンメルは彼が「フレーヒェンマルシュ(広域進撃)」と名付けた陣形前進した。これは全師団を幅1.5キロ長さ20キロに及ぶ箱形陣形にし、正面両脇装甲大隊を置き、後方装甲大隊偵察大隊を置き、中央には歩兵連隊を置くという陣形である。この陣形外側にいる装甲大隊がいつでも全兵種支援受けられるため攻撃受けた時に反撃しやすい利点があった。欠点進軍スピード落ちることだが、ソンム川南方西方のようにゆるやかな起伏が続く平坦な地形においてはそちらの方が有効であったロンメル師団順調に快進撃続け6月7日には48キロ上進軍し、アミアンから海岸に至る地域防衛していたフランス第10軍分断した。6月8日にはさらに72キロ進撃したこの頃には連合軍至るところ崩壊していた。ロンメル師団も、大ブリテン島逃げ帰るために英仏海峡の方へ逃れようとするイギリス軍としばしば遭遇したが、すでに彼らの指揮系統崩壊状態であったので大した戦闘にもならなかった。テュロワで捕虜にしたイギリス軍トラックからはテニスラケットゴルフクラブまで出てきたのでロンメルは「イギリス軍はこの戦争がまさかこんな結果になるとは思ってもいなかったのだな」と言って笑ったという。 6月8日真夜中にルーアン南方セーヌ川到達したセーヌ川への到達は全ドイツ軍ロンメル師団一番乗りだった。エルブフ(fr)のから一気セーヌ川渡河ようとしたが、フランス軍ひと足早くセーヌ川にかかる全ての爆破したために失敗したロンメル師団突出しすぎており、背後にはまだ敵が残っている都市がたくさんあった。またルーアン上空観測気球あげられたため、ロンメル師団はエルブフ付近の川がくねって半島のようになっている地域から一時撤退することにした。

※この「セーヌ川まで南進」の解説は、「エルヴィン・ロンメル」の解説の一部です。
「セーヌ川まで南進」を含む「エルヴィン・ロンメル」の記事については、「エルヴィン・ロンメル」の概要を参照ください。

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