セラムルクとハレム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:44 UTC 版)
イスラームでは、女性は家族以外の男性と自由に接触することが禁じられているため、セラムルク(男性の間)とハレムリキ(女性の間)が明確に分けられていた。一般住宅の住み分けは、階によって分けるもの、住宅の中心に壁を設けて長屋状になるものなどがあるが、オスマン帝国の宰相や高級官僚が居住した、 庭園を持った積石造の邸館(コナク)などでは、妻や幼い子供、女性たちが居住するハレムは完全に別棟の建築物になることもあった。トプカプ宮殿のハレムは独立した建築物であるが、ドルマバフチェ宮殿では大広間を挟んで陸に向かって右側がハレム、左側がセラムルクに分節されている。いかに粗末な家であってもこのような住み分けは行われており、壁ではなく、戸板やカーテンで仕切られた空間がハレムリキとしてあてがわれていた。 ハレムリキは、結婚後の女性にとって唯一の自由な空間となる。このため、長子の新婦に対しては、一般に最も日当りがよく、豪華な装飾を持つ空間が与えられる。家に外来者(女性が一人で外出することはありえないため、外来者はほぼ男性に限られる)が来ると、女性たちはハレムリキに隠れてしまうため、住み分けを階別に行っている住宅では、セラムルクを通らずに水場やトイレに行くための給仕用の動線が確保された。住宅の中心に壁を設ける場合は、界壁面に回転扉が設置され、ハレムリキから給仕された食事や茶などを、この回転扉からセラムルクに受け渡した。 基本的に女性は生活の大部分を家屋内で行っていたが、外部からの視線に対しても気が配られていた。路地に面した窓にはカフェスと呼ばれる衝立てが設置され、これが外からの視線を遮り、逆に室内の女性たちは顔を隠すことなく、外の様子を窺うことができた。カフェスは窓の一部であるが、外部に突出して外来者を確認できるもの、さらに発展して買い物ができるように籠を上げ下げする小さな開口部が取り付けられているものもある。
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